仏教専修科
平成28年成道会法話(仏教専修科主任 斉藤仙邦教授)
参列の皆様、ご焼香どうもありがとうございました。それから仏教専修科の皆さん、六日夜から、今日もずっと坐禅を続けてきましてどうもご苦労様でした。特に桜井大文先生、維那として常に叱咤激励、全坐禅に参加して、回向の時にちょっと声が嗄れてましたけど、これが接心をやり抜いた人の声でございます。本当にどうもご苦労様でした。ありがとうございました。
学長先生が今スリランカにいらっしゃるということで、「仏教専修科として成道会をよろしく頼む」とお願いして行かれました。私もなんとかお役を務めさせて頂きました。本年もまた接心•成道会を無事に済ませ、学長先生もなんとか安心しておいでになるのではないかと思います。
成道というのはお釈迦様が今日の明けの明星にてお悟りになったということなのですが、すると「何を悟ったのか」ということが問題になります。四諦八正道であれ十二縁起であれ、色んな教えがございますけれども、それがなかなかわからない。ここで話すのはひとつの私見でございますけれども、少しだけ話させて頂きたいと思います。
私は、「諸行は無常である」とか「一切は苦である」とか「一切は空である」とか、そうしたことは、お釈迦様は修行をする前から分かっていらしたと思うんです。「人は死ぬ」「すべては苦しみである」そんなことは分かっていた。つまり、仏教の専門家が仏陀の悟りだと一生懸命説いていることというのは、おそらく修行する前にわかっていた。だから仏教学者で悟った人がいないわけなんです。問題は、「一切が苦であるとわかっているのに、なぜ私はこの苦しみの中にいてそこから抜けられないのか」という点なんです。苦しみの元は私自身がこうやって見ていることです。私がこれをこう見るからです。例えば私が学歴にこだわる、地位にこだわる、人がどう見ているかこだわる、あるいは歳をとってきたことにこだわる、死ぬのが怖い。その見ていることにこだわることです。そのことは分かっている。しかしそこから脱けきれないんですね。それをおそらく「我執」とか「無明」と呼んだわけです。どうしても超えられない恐ろしさがそこにあるわけなんです。それを端座六年の修行の末に、脱けきったということなんですね。自己中心性とも言いますし、エゴとも言いますが、そういうものを脱けきったのです。脱けたら、世界が見えてきたと。その脱けたところの世界がお釈迦様の悟りの世界だったということです。私も見てみたいんですが、なかなかそんなものは見られない。しかしそれを慕って私たちはこうやって坐っている。
皆さん互いに隣り合って坐っているわけですが、隣にいる人は隣人なのか、競争相手なのか、それとも自分の大事な人なのか、いらない人なのか。全部それは我欲で見ているわけです。脱けたところの話をするのは夢の話をしているようなものなんですけれども、私は、脱けきったところから見たら、隣にいる人は本当に隣人なんだと思うのです。キリストが言った「隣人」なんです。「その人が右の頬を打てば左の頬を差し出しなさい」という、その隣人です。「汝の隣人を愛せよ」というその隣人です。そこに至ったとき、仏陀は立ち上がってその人たちのために救いと教えの旅に出られたということだと思います。
今日のお経の選び方はいいなあと思いました。如来寿量品偈。これはですね、「仏などいない」、「死んでしまったものなどいない」と人々が言う中で、「いやいらっしゃるんだ」というお経なんですね。有名な言葉です。「一心欲見仏 不自惜身命」。不惜身命の心で見れば、必ずそこにいらっしゃる。仏はいらっしゃる。ご先祖様はいらっしゃる。そしてそこに悟りの世界もあるんです。でも、見ないから見えない。見ようとしなさい。身を捨てなさい。心を捨てなさい。そうすればそこに突き抜けた世界があるぞと、それが如来寿量品偈の心だと私は思います。私たちも、突き抜けるか突き抜けないかは別としても、こうやって、二泊三日ですけれども、脱けようとして坐って、そしてその世界を慕ってこうやって法要し焼香し坐っているわけであります。そういう中で誰一人怪我もなく亡くなる方もなくこの接心を終えて法要ができたということはありがたいことでございます。また皆さんにもこうして来ていただいて焼香していただいて仏教専修科としても喜んでおりますし、学長先生にも満足にできましたというご報告ができると思います。私の方からはそういう挨拶で終わらせていただきます。みなさんどうもありがとうございました。
学長先生が今スリランカにいらっしゃるということで、「仏教専修科として成道会をよろしく頼む」とお願いして行かれました。私もなんとかお役を務めさせて頂きました。本年もまた接心•成道会を無事に済ませ、学長先生もなんとか安心しておいでになるのではないかと思います。
成道というのはお釈迦様が今日の明けの明星にてお悟りになったということなのですが、すると「何を悟ったのか」ということが問題になります。四諦八正道であれ十二縁起であれ、色んな教えがございますけれども、それがなかなかわからない。ここで話すのはひとつの私見でございますけれども、少しだけ話させて頂きたいと思います。
私は、「諸行は無常である」とか「一切は苦である」とか「一切は空である」とか、そうしたことは、お釈迦様は修行をする前から分かっていらしたと思うんです。「人は死ぬ」「すべては苦しみである」そんなことは分かっていた。つまり、仏教の専門家が仏陀の悟りだと一生懸命説いていることというのは、おそらく修行する前にわかっていた。だから仏教学者で悟った人がいないわけなんです。問題は、「一切が苦であるとわかっているのに、なぜ私はこの苦しみの中にいてそこから抜けられないのか」という点なんです。苦しみの元は私自身がこうやって見ていることです。私がこれをこう見るからです。例えば私が学歴にこだわる、地位にこだわる、人がどう見ているかこだわる、あるいは歳をとってきたことにこだわる、死ぬのが怖い。その見ていることにこだわることです。そのことは分かっている。しかしそこから脱けきれないんですね。それをおそらく「我執」とか「無明」と呼んだわけです。どうしても超えられない恐ろしさがそこにあるわけなんです。それを端座六年の修行の末に、脱けきったということなんですね。自己中心性とも言いますし、エゴとも言いますが、そういうものを脱けきったのです。脱けたら、世界が見えてきたと。その脱けたところの世界がお釈迦様の悟りの世界だったということです。私も見てみたいんですが、なかなかそんなものは見られない。しかしそれを慕って私たちはこうやって坐っている。
皆さん互いに隣り合って坐っているわけですが、隣にいる人は隣人なのか、競争相手なのか、それとも自分の大事な人なのか、いらない人なのか。全部それは我欲で見ているわけです。脱けたところの話をするのは夢の話をしているようなものなんですけれども、私は、脱けきったところから見たら、隣にいる人は本当に隣人なんだと思うのです。キリストが言った「隣人」なんです。「その人が右の頬を打てば左の頬を差し出しなさい」という、その隣人です。「汝の隣人を愛せよ」というその隣人です。そこに至ったとき、仏陀は立ち上がってその人たちのために救いと教えの旅に出られたということだと思います。
今日のお経の選び方はいいなあと思いました。如来寿量品偈。これはですね、「仏などいない」、「死んでしまったものなどいない」と人々が言う中で、「いやいらっしゃるんだ」というお経なんですね。有名な言葉です。「一心欲見仏 不自惜身命」。不惜身命の心で見れば、必ずそこにいらっしゃる。仏はいらっしゃる。ご先祖様はいらっしゃる。そしてそこに悟りの世界もあるんです。でも、見ないから見えない。見ようとしなさい。身を捨てなさい。心を捨てなさい。そうすればそこに突き抜けた世界があるぞと、それが如来寿量品偈の心だと私は思います。私たちも、突き抜けるか突き抜けないかは別としても、こうやって、二泊三日ですけれども、脱けようとして坐って、そしてその世界を慕ってこうやって法要し焼香し坐っているわけであります。そういう中で誰一人怪我もなく亡くなる方もなくこの接心を終えて法要ができたということはありがたいことでございます。また皆さんにもこうして来ていただいて焼香していただいて仏教専修科としても喜んでおりますし、学長先生にも満足にできましたというご報告ができると思います。私の方からはそういう挨拶で終わらせていただきます。みなさんどうもありがとうございました。
- 仏教専修科
- インタビュー:仏教専修科
- 年間活動:仏教専修科
- 教職員紹介
- 新着情報:仏教専修科
- 科目紹介:仏教専修科
- 学生インタビュー(三田村尚範さん?朋範さん)「兄弟で父の遺志を継ぐ」
- 教員インタビュー(千葉公慈学長)「果てしない物語へ」
- 学生インタビュー(印海兵さん)「中国の仏教?日本の仏教」
- 学生インタビュー(工藤龍人さん)「大学院で街おこしを学ぶ」
- 教員インタビュー(新井一光講師)「仏教認識論から法華経へ」
- 教員インタビュー(木村尚徳講師)「大本山での十年」
- 学生インタビュー(水野有人さん)「鶴見大付属高校から東北福祉大へ」
- 学生インタビュー(田中貴道さん)「本山へ、そして故郷の町へ」
- 「仏教専修科」及び「禅のこころ」共同SDが開催されました
- 日本仏教社会福祉学会学術大会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度お盆供養
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度両祖忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度成道会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度臘八摂心会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度涅槃会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度達磨忌?萩野浩基元学長七回忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度仏教専修科開講式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度降誕会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度東日本大震災追悼式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度両祖忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度成道会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度臘八摂心会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度涅槃会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度達磨忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度降誕会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度震災追悼式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】六年度施食会法要
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】六年度仏教専修科開講式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】六年度降誕会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度両祖忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度成道会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度臘八摂心会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度達磨忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度仏教専修科開講式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度降誕会
- 活動記録:東日本大震災十三回忌
- 活動記録:太祖瑩山紹瑾禅師七百回大遠忌法要
- 科目紹介 中国禅宗史
- 科目紹介 日本禅宗史
- 科目紹介 禅学概論
- 科目紹介 経論講読
- 法話?講話
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年涅槃会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】3年開講式挨拶(高橋英寛理事長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】3年開講式訓示(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年降誕会式辞(高橋英寛理事長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年降誕会挨拶(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年両祖忌法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年成道会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年涅槃会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年達磨忌法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】元年成道会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】元年降誕会法話(大谷哲夫学長)
- 大谷哲夫学長インタビュー:仏教専修科の理念と展望
- 平成28年両祖忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成28年成道会法話(仏教専修科主任 斉藤仙邦教授)
- 平成28年降誕会法話
- 平成29年両祖忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成29年東日本大震災七回忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成29年降誕会法話(大谷哲夫学長)
- 平成30年両祖忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成31年涅槃会法話(大谷哲夫学長)
- 降誕会オンライン法話(千葉公慈学長)