学長室の窓

学長コラム:人類は何を目指すのか

コラム No.4

なんじらまさに前進ぜんしんすべし
こはこれ化城けじょうなるのみ

法華経ほけきょう』第七「化城喩品けじょうゆぼん

人生はさまよえる荒野の旅にも似ている。そう見抜いたのは他ならぬ『法華経』の「化城のたとえ 」である。はるか五百由旬(ごひゃくゆしゅん)という険しい道は、自ずと旅人を疲労困憊(ひろうこんぱい)させ、前進する気力を次第に奪ってゆく。あるものは力尽き天を仰ぎ、あるものは倒れ込み、中には目的を見失って引き返そうとするものもいる。

するとその時、彼らの前に立ち上がった導師(どうし)がいた。彼らの生気を回復させ、ふたたび前進する勇気を取り戻すために方便をもうけたのである。

「いざ見よ、立ち上がれ!あそこに大きな城がある。
彼の地にたどり着けば、汝らの欲する ものは、すべて手に入るであろう!」

この導師(釈尊)の言葉に、人々は失いかけていた勇気を奮い立たせ、何とか前進してその城にたどり着く。そして湧き水に喉を潤し、たわわに実った果実の味を堪能することになる。しかし、実はその城は神通力によって出現した“まぼろしの楽園”に過ぎなかった。あくまでも方便によって設けられた化城なのである。人間究極の理想郷は、さらなる彼方にあるのだった。しかし人々は化城の“居心地の良さ”に満足し、生気を回復しながらも、本来目指していたはずの地へ向かおうとしなかった。

そこで導師がこう宣言するのだ。

「汝らまさに前進すべし。こはこれ化城なるのみ」

この物語は、従来『法華経』の目指す万人救済の境地に導こうとする比喩であると解釈される。ただしかし、私にはこの物語がどうしても現代の我々の姿に映って見えるのだ。

近代の産業革命以降、人類の欲求と欲望に牽引され蓄積された資本によるこの社会は、戦後を遥かにして奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】に至り、ある程度の理想社会を実現させたことに相違はない。しかし、それをもって我々現代人は真に人間の理想郷に到達したと言えるのだろうか?

私の答えは(いな)である。なぜなら飽くなき欲望と生成AIが主役となるような物質社会は、どう考えても“仮の城”だからである。人類の目指すべき宝処(ほうしょ)には、慈悲と友愛に満ちた街があるに違いないと私には思えるのだ。

日々キャンパスで出会う学生たちを見ながら、人類社会のこれからを私は切に思う。どうか現代という化城の果てに、真の福祉社会が実現する宝処(ほうしょ)を目指して前進して欲しいと。彼らの行く末を見届けることが我々の使命と信じて…。

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