学長法話:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度成道会
本日は釈尊成道会、本日は法要を皆様とともにお勤めできました。まことにご苦労様でございます。また、お釈迦様がお悟りを開かれた、その故事にならった儀式ということで、お釈迦さまに心より感謝とお祝いを念じ申し上げたく存じます。皆様とともに感謝の合掌を申し上げます。
どうぞ、行持は終わりましたので、脚の痛い方はくずしてもらって構いません。また、オンラインでご参加いただいた皆さん、まことにありがとうございました。
さて、接心会という行持が、月曜日から連日、早朝からこの遅い時間まで行われておりました。多くの学生?教職員の皆さん、仏教専修科の諸君には、大変授業もお忙しい中参加して頂いて、寒い中本当にご苦労様でございました。お疲れ様でした。きっと、皆さんがお勤めいただいたその体験が、必ず皆さんの目標、夢に向かって励まれるその力に大きく貢献することでありましょう。
ご案内のとおり、お釈迦様は紀元前五世紀、ウルヴェーラー村の川のほとりでスジャータのパヤサ(乳粥)でお体を癒され、さとりを開かれたということでございます。開かれた場所はブッダガヤ—という街の菩提樹の木の下ということでございました。時にお釈迦様は三十五歳、それまで、出家されてから六年間に及ぶ難行苦行の生活だったと、仏伝は伝えております。一部、「七年間」とするものもありますが、およそそれは年代?年数の数え方の違いによりますところでありましょう。いずれにしましても、お釈迦様が釈迦族の太子としてこの世に生を享け、その後二十九歳にして出家され、さらにこの六年間に思いを馳せるとき、私たち凡人にはわからぬほどの大変厳しいご修行があったわけでございます。お釈迦様の述懐された言葉の中に、「私以上に厳しく、私以上に激しい修行をした者は、もはやいなかったであろうし、これからもいないであろう」という趣旨のことを仰っておられます。実際、毎日胡麻粒を数粒食べるだけというような、断食を中心とした激しいご修行によって体力を消耗され、二度ほどの危篤状態に陥ったという伝えがあるほど、命がけのご修行でありました。
では、なぜお釈迦さまは命がけのご修行をされたのでありましょうか。そして、なぜそれを六年目にして放棄されたのでありましょうか。私のような者には想像をはるかに超えておりますけれども、少なくとも言えることは、「放棄された」と書物には多く書いてありますけれども、それは「無駄であった」という意味ではないということだけは確かであります。いやむしろ、この難行苦行の六年間があったからこそ、お悟りの境地に到達することができたのだと思われます。
では、この六年間とは一体何だったのでありましょう。それを考えるヒントが、「降魔成道」という逸話であります。「降魔」とは、「悪魔が降りてくる」「降りてくる悪魔」ということです。「悪魔」と言うと聖書の特許のように思われるかもしれませんが、「悪魔」という言葉が初めて日本に伝わったのは仏教からであります。「マーラ」というのが、原語でありますが、「死に至らしめるもの」という恐ろしい存在であります。しかも、悪魔はひとりではありません。軍勢、軍隊によって、大勢でお釈迦様のもとへ押し寄せる。そして、命を狙ったというのです。ではそのマーラという軍勢、マーラ軍は、一体お釈迦様の何を奪おうとしたのでしょうか。これも想像するしかございませんが、おそらくは、お釈迦様ご自身の内にあるあらゆる欲望、欲求、人間としてのさまざまな心の迷い、それを「マーラ」と称したのでありましょう。けれどおも、人間の心や迷いを「マーラ」と喩えるのですから、それは中途半端な生易しいものではなかったはずです。
たとえば、ほんの一例でありますけれども、こう考えたらどうでしょう。今、世界では多くの戦争やテロが、リアルタイムで今も続いています。人類は長き歴史を刻んできましたが、いまだに人が人を傷つける、いまだに人が人をだまし、暴力で暴力を返すという、非常に恐ろしい光景が今も続いているということです。これは、人間のひとつの心が形に表れた一例にすぎません。これだけではありません。人間としての欲望や欲求に支えられて、この世は造られています。だとすると、この世の表れは私たちの心の表れであります。あらゆる悲惨な、残忍な光景があったとすると、それは私たちの心の出現そのものなのであります。これを悪魔と呼ばずして何と呼ぶことができるでしょう。少なくとも、お釈迦さまはそれに気づいておられました。
悪魔はささやきかけました。「私たちは七年間におよぶ — あるいは仏典によっては六年間におよぶ — 釈尊への誘惑、しかしゴータマ — お釈迦様のことですが — はこれに動じることはなかった」と言って、去って行ったといいます。その立ち去られるきっかけが、「大地有情同時成道す」ということであります。
先ほど香語にも申し上げましたが、お釈迦様のお悟りは、大地がそれを証明したというのです。悪魔の軍勢はお釈迦様に語りかけました。「私が悪魔の頂点にいることは、眷属が私を認めてくれている。私は認めてくれるものがあるから悪魔の頂点にいるのである。しかし、ゴータマよ、そなたはさとりを開いたと言うが、そなたのさとりを証明するものがこの世のどこにいるだろうか。」こう語りかけてくるのであります。すると、お釈迦様は右手の指先を大地に触れました。これが降魔印(触地印)です。すると大地が大地震を起こしたというのであります。そして大地が、お釈迦様が悟られたことを証明したというのです。これが「大地有情同時成道」という教えになって伝わっています。「山川草木悉皆成仏」という言葉の起源はさまざまに学界でも論及されておりますが、あるいはこのゴータマの成道の「大地と共にさとりを開かれた」ということが影響しているかもしれないと思います — あくまでもこれは私自身の想像なのですが。
いずれにしましても、お釈迦さまは道を開かれました。どうぞ、本日は、お釈迦様がさとりを開かれた、まことにめでたい祈念の行事でありました。皆様の人生に、皆様のお悟りがきっとあるはずであります。簡単には手に入らないかもしれません。でも、どんなに苦しくても、どんなにつらいことがあっても、お釈迦様は成し遂げられたのです。
「切に思うこと必ず遂ぐるなり」とは、道元様の教えでもあります。本当に心から願うならば、平和も人間の幸せも必ず遂げられるはずであります。どうか、それを胸に信じていただいて、成道会を機に皆様の進むべき道を見つけていただきたいと思います。言葉調いませんが、今日のご法話でありました。以上です。
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