学長室の窓

学長法話:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度涅槃会

2024年2月9日に行われた、奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度涅槃会法要の際の学長法話です。

改めまして、皆様、お寒うございます。本日は学校法人栴檀学園奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】の涅槃会、三仏忌のひとつの大切な行事でございました。冒頭、司会の新井先生よりご案内いたされましたとおり、お釈迦様のお亡くなりのご供養をいたし、祈念申し上げる行持でございます。

また、今年は一月の元旦を振り返りますと、能登半島にて大変大きな地震があり、今だなお余震の続く中に、被害の復旧さまざな活動に取り組んでいる方々がいらっしゃいます。法要では、お亡くなりになられた方々へのご冥福をお祈り申し上げつつ、本日は涅槃会をお勤め申し上げたわけでございます。おそらく今日も大勢のボランティアの方や多くの方々が、捜索活動、復旧作業等、汗を流されていると思います。さぞやお寒い中、あるいは余震の続く中、ご苦労も多いかと思います。これから力を合わせて、日本だけでなく世界中の方々が、こうした災害の時には、何とかお支えし、寄り添って参りたいと、また本学もそうありたいと願っているわけでございます。

さて、先ほど申し上げましたとおり、お釈迦様のお亡くなりのご様子、それを当時のご様子として受け継がれているのがこの「涅槃像」という、涅槃のお姿であります。方角でちょっと見えない方もいらっしゃるかもしれませんが、「クシナーラ」あるいは「クシナガラ」とも発音しますが、その川のほとり、小さな小さな村で、わずかなお弟子様たちを伴って、そして八十年の生涯を閉じられました。ここには多くの動物たちや村人たちも大勢集まって描かれております。

私は子供の時、今は亡き父に言ったことがありました。「動物が涙を流すっていうことは、あるのかな。虫が涙を流すなんておかしいんじゃないの」、そんなことを子供の素直な心のままに訊いたことがあります。するとその時父は、具体的にどう教えてくれたか記憶は定かではありませんが、「そうか、そう思うか」と、悲しそうな顔をして聞いてくれた記憶がございます。歳をとり、父の年齢に近づくにつれ、私なりに何となくわかってきたことがございました。それは、鳥や虫たちが涙を流す、大地が泣いてくれる、そういう一生を送らなければならないのではないかと。例えば、お釈迦様の一番弟子で最初にお悟りを開いたコンダンニャがお亡くなりになって、ヒマラヤの山が泣いたと記されています。たったひとりきり、山奥で隠遁生活を送っていたコンダンニャ尊者に、山が泣いたとその死を悼んでいるのでありますが、お釈迦様には世界中のすべての人々はもちろん、動物も虫たちも、鳥、さまざまな大地や森や多くのものたちが悲しみに涙したと伝えられるのです。その一生として描かれたお釈迦様のご生涯を想うとき、「ああ、それほど尊い一日一日、一生を送られたのだなあ」と、つくづく思うのでありました。私たちもかくありたいと、願ってやまないわけです。このご様子を描かれた教えとしては、漢訳としてはさまざまに伝わっております。確か大正大蔵経の一巻、五巻、六巻、七巻等々の数箇所に様々な翻訳が伝わっておりますが、その様子が一番ドラマチックに描かれているのが、「ディーガニカーヤ」といわれる三十四経のうちの第十六番目のお経「マハーパリニッバーナスッタンタ」という、パーリ語で書かれた『大般涅槃経』であります。今日はそのパーリ語で書かれたものの意訳を持って参りました。今日はそれを皆様に物語としてお届けして、こちらの涅槃図のご様子を思いめぐらしていただきたいと存じます。


お釈迦様のお歳はもう八十になられました。マガダ国にとどまって、長い間教えを説かれていたのですが、一度、ひどい病にかかられてからはすっかりお弱りになってしまいました。「私はもう八十になってしまった。古ぼけた車が革紐の助けでやっと進んでいくように、私の身体も老いた。お前たちはもう、私ばかりを頼りにせず、自分たちの力を頼りとして、修行をし続けなければいけないのだよ。」このようなことを時折おっしゃるようになっていました。

お釈迦様ご自身は自分の命をもう短いとよく知っていらっしゃいました。そしてお釈迦さまは、ヒマラヤの真っ白な峰の見える国へ行って命を終えたいものだとお考えになったのか、わずかなお弟子を連れて、北へ北へと旅を始めました。ガンジス川を越えて、ヴェーサーリー城にお入りになった時には、この美しい街を眺めるためにチャーパーラというお社に行かれました。 「アーナンダよ、ヴェーサーリーのこの街は何という美しさであろう。森や小川や建物が美しく輝いている。平和な世の中はこのように美しいものだ。人の世はいつも、こういう平和で美しい街を眺めて楽しんでいられるといいのにね。生きているということは本当に幸せなことだ。実に、人の命は甘美なものである。しかし、このヴェーサーリーの街とも今度が見納めとなるかもしれないね。」 お釈迦さまはいつまでもいつまでも、夕日に輝くヴェーサーリーの街を眺めておいでになりました。平和な人の世が造られるために一所懸命努めてこられましたお釈迦様が、まるで金色に輝いている平和なヴェーサーリーの街をうっとりと眺めていらっしゃる姿。それは本当に絵のように美しく、神々しいものでありました。

お釈迦さまはさらに北へ進まれて、パーヴァー城にお入りになりました。そこで、鍛冶屋のチュンダの家で、朝のお食事をおとりになったところで、お釈迦様は食べ物にあたって病気になられました。それでも何とか我慢なさられて、さらに北へ北へと進まれ、カクッター川の岸に着かれました。

「アーナンダよ、私は、今夜のうちに、クシナーラのサーラの樹の間で死を迎えようと思う。その前に、川で沐浴をしておきたい。」お釈迦様はアーナンダに助けられ、カクッター川で身体を洗い、沐浴いたされました。しばらく川岸のマンゴーの林で休まれてから、また北へ進まれ、ヒランヤヴァティー川を越え、クシナーラの、それはそれは美しい村のサーラの林の中へと入っていかれました。「アーナンダよ、私は疲れた。横になりたい。」

お釈迦様はこうおっしゃられると、その中でも特別に大きなサーラの大木二本を見つけて、その間に枕を北にして床をとってもらいました。すると、頭を北に向け、右脇を下にして、脚の上に脚を重ね、まるで優雅なライオンのように悠々と横になられました。すでにもう夕暮れで、あたりは暗くなりはじめていました。

あちらからもこちらからも、黒い人影が動いてきて、お釈迦様の周りに静かに跪いています。お釈迦様のご病気を聞いてそのあたりの町や村から集まってきた人たちでした。悲しみの声、低いすすり泣きが、周りから聞こえてきます。暗闇の中、小さな灯がひとつ浮かび上がりました。その灯のところに、お釈迦さまは静かに横になっていらっしゃったのです。お釈迦様の周りにいるのは、お弟子様はもちろん、信者たち、それだけではありません、この深く暗い闇の中には、お釈迦様の優しいこころで救われたり励まされたりしたものたちが、みんなみんな来ていたのです。眼には見えなくとも、みんなどこからともなく、この灯を目あてに集まってきたのです。そしてそっと心配そうに、お釈迦様のお顔を覗いていらっしゃったのです。お釈迦さまは八十年の思い出のなかに浮かんでいるひとりひとりの心配そうな顔を、それは懐かしそうに思い出していらっしゃいました。

「汝ら弟子たちよ、私は知っていることのすべてを話し終えた。私には隠しごとは何もない。私に訊いておくことはもう他にないのだ。あるのなら、今のうちに何なりと遠慮せずに訊いていいのだよ。」 するとひとりが応えます。

「お釈迦様、私たちはみんな心からお釈迦様の教えを信じております。もう何にもわからないことはございません。」

「そうか、それはよかった。それで私も安心して死を迎えることができる。汝ら弟子たちよ、この世にあるものはみな、次々に移り変わってゆくものなのだ。いつまでも変わらずに続くという存在は何もないのだ。汝ら弟子たちよ、油断せず、勤め上げ、修行して、世の中の人々の拠り所となるような、そういう気持ちをなくさないようにしておくれ。これが最後の私からのお願いなのだ。すべてのものは移ろいゆくので、怠らず勤め上げなさい。」

この言葉を最後に、そのまますーっと、お釈迦様の息は遠くなっていきました。灯がゆらゆらと揺れて、すっと消えました。暗い闇の奥に火が吸い込まれて行くように、お釈迦様のお命も、暗く広い天地の中に吸い込まれていったようでした。すすり泣きが、遠い海のように広がっていきました。それはさざ波の音のごとく、悲しみはやがてインドの国全体に広がってゆくのです。そして世界へと広まっていったのです。

しかし、いつまでも泣いてばかりはいられません。悲しみはいつか、お釈迦様への約束へと弟子たちは変えていったのです。人間どうしがお互いに赦し合い、信じ合い、助け合って、平和な静かで争いのない世界をつくり出していこう。お釈迦様の教えのとおりに生きていこうという固い約束でありました。この固い約束は、お釈迦様がお亡くなりになってから二千五百年経った今日の日本でも、やはり立派に守り続けられているのです。そして、その約束が守られているとき、お釈迦様の御命も私たちの心の中にいつまでもいつまでも生きていると言えるのであります。

以上、今日の法話でありました。皆様ご苦労様でした。

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