学長室の窓

学長法話:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】七年度成道会

2025年12月3日に行われた、奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】七年度成道会法要の際の学長法話です。
本日は釈尊成道会です。皆様のお力添えによりまして、無事に円成致すことができました。誠に嬉しい限りでございます。釈尊のお悟りをお祝い申し上げ、さらには二千五百年にわたるすべてのご修行を遊ばされたお祖師様、ご修行者に対しましても、心からの感謝と祝意をお届けできたものと存じます。あらためて成道会おめでとうございました。

この数日間、仏教専修科の先生方を中心に、おそらくは学生の皆様、授業や実習活動、あるいは部活動等さまざまな都合の中、時間を見つけては坐禅堂で、連日坐禅に打ち込まれたものと拝察します。誠にお疲れ様でした。こうして最後に、本学の成道会にて一堂に会することが出来ましたことも、たいへん喜ばしいことでございます。とりわけ今年は学校法人栴檀学園の創立百五十年目。したがいまして、おそらく明治八年以降毎年行われていたであろうこの成道会も、おそらくは区切りの第百五十回目になろうかと存じます。

その記念すべき今回の法要は、維那をお勤めくださった三宅君、お見事でした。堂々とお唱えになり、私も導師を勤めながら、その力強い声に勇気をいただきました。そして、二千五百年に及ぶこの歴史の中で、二千五百分の百五十という数字は、数としては小さいかもしれませんが、私どもにとっては、明治以来の学校史における大きな節目を刻むことができた思いで感無量であります。私たちの仏教専修科の、そして本日ご参列いただいた皆様の真心が後世に、栴檀の香りの如く、尽十方界に伝わっていくことを祈るものです。

さて、時は紀元前五世紀、釈迦国にお生まれになった釈尊は、二十九歳にて出家遊ばされました。かくして難行苦行の六年間、その末に見出されたものは一体、どんな教えだったのでしょうか。またどのような景色がひろがっていたのでしょうか。私のような凡人には、遥か遠く及びつかないところですが、私なりに、その思いを巡らせますと、おそらくは仏典の伝えているとおり、〈これあればかれあり。これなければかれなし〉との「縁起」の思いを抱かれたという伝承からも、私たちはその縁起の教えこそ、大切にすべき仏教徒の大事な証であろうかと思われるのです。

ご案内の通り、それまでのご修行の中には、バラモンの教えに基づく祭祀とともに、古代からの瞑想、あるいはヨーガと言われる行がありました。そして、日々の苦行には断食が基本としてありました。当時の釈尊もお体は骨と皮ばかりになり、眼光は鋭く、そしてあまりにも激しいこの断食の修行のゆえに、一説には二度ほど危篤状態に陥ったとも伝えられますが、おそらく生命の危機が幾多もあったに相違ありません。出家後ほどなく、父スッドーダナ王のもとには、「あのシッダールタ太子は、激しい修行のために命を落とされた」という悲しみの知らせが何度も舞い込んだそうであります。これもおそらくは瀕死の渋滞のような状況が何度かあったのではと推察いたします。

釈尊がご修行された場所は、主にインドの密林でありました。そこにはタランチュラのような毒蜘蛛があり、あるいはヒアリのような毒虫、そしてキングコブラのような極めて 危険な毒蛇、そしてインドの猛獣ベンガルトラ、野生の象、あるいは想像ですけれども、さまざまな病原体もあったでしょう。いずれにしろ、命すれすれのご修行が厳しく六年間続きました。ゆえに、スッドーダナ王はあまりにも心配になり、五人の家臣を釈尊のもとに送り、そしてお命を支え守るようにと指示したのでありました。これが「五比丘」という五人の修行仲間です。

やがてこの「五比丘」が、釈尊の成道後、最初に説法を聞く仏弟子となっていくのです。いずれにせよ、当初はとにかく釈尊のご修行をお支えしようと、陰に陽に釈尊に寄り添って苦行が続いていたのでした。ところが三十五歳になったある日、沐浴を終えて川から這い上がり、力を振り絞るように寄り掛かった木が、「ニグローダ」という名の樹木でした。そこで釈尊は、「苦行、とりわけ断食によって肉体に苦痛をもたらす方法は、この生きている人間の根本的な苦しみをどう解決するかという問題とは、何ら関わり合いのないことである」という、従来の修行者の考えでは及びもつかなかったような発想の大転換をされたのでした。

そうしてニグローダ樹下にてお休みになっているところへ、かのスジャーターがパヤサと呼ばれる乳粥を運ばれたのです。スジャーターは、現地ウルヴェーラー村の村長の娘とも伝えられていますが、ウルヴェーラーというのは、「軍人」「軍隊」というような意味ですから、何かそこには兵隊さんが多く駐留しているような村があったのかもしれません。いずれにしても、村長の娘スジャーターは、幼少からニグローダ樹を拝んでいたそうです。村の鎮守のご神木であるニグローダ樹に、結婚して子に恵まれたことへの感謝として、乳粥の供物を捧げるためにそこへ持ってきたのでありました。

いつも申し上げていることですが、この乳粥のパヤサ、私たちも作って食することができます。お粥を牛乳で炊くのでありますが、私の場合は、ちょっと手抜きをして生米から炊くのではなく、夕べの残りの冷やご飯に牛乳をかけて鍋でコトコト煮るのです。そして、場合によっては蜂蜜やバターを入れるという方もいらっしゃいますが、私は何も入れません。最後にガラムマサラといったスパイス系の胡椒で味を調え、ミントのようなハーブの葉を添えていただくと、これで立派な牛乳粥の出来上がりです。どうぞ「あの釈尊がお体をいたわるために召し上がったパヤサだ」と追体験してもらいたいと思います。

私は学生時代、インドに奈良康明先生とご一緒いたしました。その時、乳粥が何かをよく知らずにホテルでパヤサを食べていたんです。「千葉君、これわかるかい?」って言われて、当時は本当に勉強不足の大学生でした。「先生、何でしょう?」「えっ!君は何を勉強しているんだ。これこそ釈尊成道に至ったパヤサだよ。」こう言われて、「作ってごらん」と勧められた思い出がありあす。口にするととても美味しいんですね。ラージャガハのホテルで作られた料理は、極上のお味でございました。すると、美味しそうに食べる私を見て、奈良先生が笑いながら、「いや、さっきはあんなことを言ってごめんごめん。実は自分が学生時代に中村元先生のお供をしてインドに来た時、私も当時若かったんだよね。中村先生に同じことを言われてからかわれたんだよ。だから、私もいつか同じことを言って、学生をからかってみようと思っただけなんだ。さっきは驚いたふりをしたけれども、自分の学生時代の思い出なんだよ」と、こう言ってくれて救われ思いがした記憶があります。

お話を戻します。断食の苦行を捨て、釈尊は豪華な食事を召し上がっていると勘違いした五比丘たちは、「あのゴータマは堕落した。だめだ、だめだ。命がけで修行している、そしてやがては悟りを開くだろうと思っていたのに。きっとあきらめたのだろう。いくらスッドーダナ王の命であっても、これ以上一緒にいられない。でもせっかくここまで修行したのだから、私たちは自分たちだけで修行を続けよう」と口々に言いながら、五比丘は釈尊とは離れて、鹿野園に向かって行ったのでした。

しかし、そのような批判を受けながらも、釈尊は堂々と乳粥を召し上がった後、菩提樹の大木を見つけられると、そこで坐禅を組まれて、十二月の八日、東の空に暁の光が差し始めた頃、明けの明星がきらりと輝く頃に釈尊は悟りを開かれ、その時の思いの中心には、「縁起」の教えがあったということであります。

この「縁起」ということを学ぶことこそが、私たちにとって「仏家一大事の因縁」であろうかと思われるのです。やがて釈尊は鹿野園に至り、五比丘に最初の説法をされることになりました。その折には「四諦八正道」という基本的な教説があるのでありますが、どうぞ、その辺のところは普段の授業で学んでいただきたいと存じます。

最後に、釈尊による初転法輪の中で、とりわけ「八正道」が、日々の生活で大事だというところで、今日のお話をまとめたいと思います。

五比丘に、悟りに至るための大事な八つの生活の教えが示されましたが、それは正見?正思?正語?正業?正命?正精進?正念?正定でした。「正見」は、正しく見ると言っている、ただ「眺める」といった見るでありません。「よくよく正しさをもって観察する」という意味です。次は「正思惟」とか「正思」と申しまして、正しい思いですね。そして三つ目が「正語」、つまり正しく健全な言葉。皆様は日常正しい言葉遣いをしているでしょうか。そして四つめの「正業」。「職業」の「業」と書いて、正しい行いです。身体と精神と言葉の正しい行為、身口意の三業であります。そして、「正命」とは正しい命。正しい命というのは、正しい生活と訳されることもあるように、平易に解せば規則正しい生活であり、人間としてふさわしい毎日の生活といった意味です。そして正精進、正しい努力ですね。正しい努力とは、「結果に左右されずに、最後まで貫く」という頑張りですね。次は「正念」、正しい憶念です。「いつも自身にとって、こういう生き方を目指すんだ」という決意にも似た憶念。そして最後は「正定」、正しい禅定です。これは苦行の六年間で学んだ瞑想やヨーガを乗り越えた精神集中の実践であり、仏に至る禅定です。これはおそらく道元禅師の教えに重ねますと、「坐禅」と申し上げて良いものかと思います。姿勢を調え、呼吸を調え、心を調える。こうした行いが大事なのです。

今日は時間の都合で端折りましたけれども、八正道という八つの実践徳目を通して、日常の私たちの過ごし方を、どこまでも自分から学んでいただきたいと思うのです。与えられた教えは身につきません。自分から興味を持ってすすんで求めていただきたい。これも「梵天勧請」の故事の教えるところであります。

釈尊は一度悟りを開かれた悟りの内容について、その説法を躊躇されました。実際、これは大変ありがたいことでありました。お願いもしない者に説かれる教えであっては、人々には身につかないことになるでしょう。けれども釈尊は、そこでいったん躊躇された。深い思慮の上に躊躇されたのです。すると、梵天というブラフマンがやってきた。「どうか私たちのために、その尊い教えを説いてください」と、私たちに人間に神様の背中を見せて懇願したわけです。私たちはその様子を見て、「ああ教えというものは、自分から願い、頂きに行くものなのだ」ということを、そこで知ることになるわけです。

今日は成道会。皆様にとっては、お寒い中、そしてそれぞれ授業やお勤めのお忙しい中、何か尊いものを求めて、ここに来ていただいたということでありましょう。それはおそらくご自身にひとつひとつ身についていくに違いありません。学園創立百五十年、百五十回目の成道会という記念すべき儀式でありました。

皆様のご多幸を祈念申し上げます。講話は以上です。

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