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VOL.20 JUNE 2004

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[生涯発達心理学特講]
育児カウンセラーとしての私の生涯発達

福祉心理学科
木村 進

◆1 はじめに

 私は,大学院修士課程2年の時から,「育児カウンセラー」の仕事をしてきています。現在は,スクールカウンセラーなどを目指して「臨床心理士」や「臨床発達心理士」の資格をとるために大学院進学を考える人が多くなってきましたが,私の時代は,そういう資格はなかったし,カウンセラーとしての仕事もポピュラーではなかったので,私がそういう仕事を始めたのは,後述のように偶然のことでした。しかし,現在まで続けてきており,その経過においては,私自身が「カウンセラー」として成長してきた部分もあると思いますので,将来そのような仕事を目指す人の参考になればと思い,また,「生涯発達」ということを理解する格好の材料にもなればということで,これまでの歩みをふりかえってみることにします。

◆2 育児の指導者たらんと欲して──初期の頃

 私がこの仕事を始めたのは,仙台市北社会福祉事務所(当時)の「家庭児童相談室」の相談員の仕事が私にまわってきたからでした。私が所属していた研究室の博士課程の院生がやっていた仕事だったのですが,その院生が途中で他大学の助手として転出したので,私が担当することになったのです。
 家庭児童相談室は,今でも各福祉事務所に置かれていますが,当時できて2年目くらいで,仙台市の場合は,福祉関係の相談員1名と発達相談関係の相談員1名という構成でした。まだよく知られた存在ではなく,私が最初に担当した相談の多くは保育所からのものでした。私としては「面白そうだ」と思って引き受けたものの,そのための学習を心がけていたわけではなく,素人同然でした。
 当時の私の武器(?)は,理論しかありませんでした。つまり,理論的に考えて「(母)親とはこうあるべきだ」というモデルを描き,それを,それぞれのクライエントにわかってもらう(説得する)というやり方でした。「子どもは親を選べない」とか「親はあなたしかいない」,「あなたみたいな親では子どもが可哀想」などと言っていたような気がします。言っていることは間違っていないので,多くのクライエントはうなずき,時には涙を見せる人もいました。
 当時の私は,泣くぐらい反省したのだから,きっと頑張って望ましい親になってくれるだろうと思っていました。何度(女の)涙にだまされたことか……。

◆3 育児の共感者たらんと欲して──私も子育て中

 家庭児童相談員としての仕事は,大学院博士課程を終わるまで続けましたので,3年8カ月ほど経験しましたが,いろいろなケースを扱って慣れては来たものの,基本的な姿勢は変わらなかったように思います。その後,大学の助手として就職したのですが,私が勤めた研究室が「視覚欠陥学教室」で,目の見えない子や弱視の子の療育相談をやっていた関係で,また相談員の仕事がまわってきました。同時に,家庭児童相談員としての仕事の延長上で,(個人的に)障害をもつ子どもの保育や,その親の指導の仕事も継続していました。
 同時に,この頃,私にも長男が誕生し,共働き家庭としての子育てを自分でも経験するようになりました。自分でやってみると,当然のことながら,理論通りにはいかないというのが第一の実感でしたし,いつも親として行動できるわけではなく,自分の仕事が詰まっている時などは子どもがじゃまだと思うことも経験しました。こういうことから,私はそれまで,クライエントを「親」としてしか見ておらず,親としての望ましい行動のみに目を奪われていて,その前に「生きた人間」であることに思いが至っていなかったということに気づかされました。
 そういうことから,この時期は,カウンセラーとして「育児について一緒に考えよう」という姿勢が生まれてきたように思われます。あるべき姿を示しつつも,「簡単にはできない」という前提を置いて,親と話し合うというようになりました。話の中に自分の子育ての経験談も交えることができるようになったので,親も共感してくれるようになったし,自分でも親に共感できるようになった時期でした。
 また,カウンセラーとしては,こちらの言うことにクライエントがのってきてくれることが奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】という理解ができ,のってくれるための条件は,理論的に正しいことを言うかどうかではなくて,理論的な背景を理解してもらうことを土台におくにしても,「やってみよう」という気にさせることができるかどうかということであるということがわかってきました。したがって,やるべきことが10個ある場合でも,とりあえずは1個だけ伝えてやってもらおうというように考えていたと思います。やってみて効果があれば,次の課題も理解してもらえるということです。

◆4 子どもの代弁者たらんと欲して── 一つの到達点

 そして現在ということになるわけですが,現在は,障害児を持つ親の指導や「育児講座」で話をすること,あるいは,その後に育児相談などを行っています。
 振り返ってみると,最初の家庭児童相談員の時は,相談に来るお母さんよりも若い時期で,自分の言葉に説得力を持たせるのに苦労しましたが,現在は,娘と同じ年ごろのお母さんを相手にしているので,そのような苦労はなくなりました。年齢(貫禄?)だけで説得力が出てくるようです。
 そして,指導者から始まって共感者になり,一つの到達点としての現在は,「子どもの代弁者」として,お母さんにお願いする立場であるというスタンスで仕事をしております。子どもは,「もっと優しくして」とか,「もっと遊んで」と自分から言えないので,私が代わってお母さんに伝えようということです。
 相談に来るお母さんは,当然のことながら,何か問題を感じ,それを解決するための助言を求めてきます。私の役割は,それに適切な助言をすることだということになるわけですが,実はそれ以上に大切なことがあることに気づきました。それは,最初の仕事は,クライエントの肩の荷を下ろしてあげることだということです。深刻な相談もありますが,話をしたら気が軽くなったとか,頑張ろうという気が湧いてきたとかいうことが第一歩でなければならないと思っています。これも言うまでもないことなのですが,主役はクライエントであり,カウンセラーは脇役なのですから,助言をすることによって,現在そのお母さんがやっている子育てに少し何かを付け加えて,問題解決に一歩近づけるというのが役割であって,子育ての適否を判断したり,まったく別の子育てのやり方を伝授するということでは効果は薄いと思われます。

◆5 まとめ:私のここまでの生涯発達──ロジャーズは偉大だ

 以上の内容は,カウンセリングの講義を受けたことがある人なら自明のことであるかもしれません。しかし,それを承知であえて書き連ねてきたのは,理論を土台にしつつも,実践から学ぶということが生涯発達の一つの側面であるだろうということと,私の場合は,育児カウンセラーとして多くのお母さんと接する中で人間について学び,それが自分が発達を考えるうえで,あるいは人の心理を理解するうえで,理論に反映するという経験をしてきたことを伝えたかったからです。
 1歳10カ月の娘が乱暴で,公園に連れていけないという悩みを持って相談に来たお母さんにアドバイスし,うまくいったという事例がありました。その後1年くらいたって,そのお母さんに当時の感想を聞く機会がありました。私としては,「適切な助言がありがたかった」という反応を期待していたのですが,そのお母さんの答は「私の話を先生が一生懸命聞いてくれたのがありがたかった」でした。まさにロジャーズのいう「傾聴」そのものでした。そういう意味で,私にもまだ成長する余地が残されていることに気づかされました。だから,「ここまでの生涯発達」としたのです。
 事例を紹介しつつ書いてくれば,もう少しわかりやすかったかもしれませんが,紙数の関係で書けませんでした。また機会があれば,続きを書きたいと思っています。

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