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VOL.40 DECEMBER 2006

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投稿

●「障害者と呼ばないで」を読んで,私も一言

社会福祉学科 M.T.

 『With』38号にKさんが,障害者の親の立場で投稿しておられました。
 私(60歳)も33年前に,障がいを持った子どもを産んだ母親です。投稿を読みながら,33年前の自分を思い出していました。私もその当時,新聞社の投稿欄に「障害」という言葉がいかに人を傷つけるかということを投稿したのでした。小林さんのおっしゃるとおり人間に対して,使うべき言葉ではないと思います。
 私の子どもは,先天的に腸が欠損していました。私が一度も抱くことなく48時間後に救急車で大学病院に搬送されました。障害のある子を産んだ母親,かわいそうに,お気の毒に,親の因果が子どもに出た,とも言われました。私自身,「障害児を産んでしまった当事者」ですから,それは悩みました。産院での相部屋の方々は「おめでとう,パパにそっくりね」などと言って子どもの誕生を喜んでいるのに。こんな出産もあるのかとカーテンを閉めて,飲ませることができないおっぱいを泣きながら絞っていました(そのおっぱいもショックでじきにとまりましたが)。
 私自身も出産後に収縮するはずの子宮が収縮せずに,大出血を起こし緊急輸血を受けました。一昔前なら母子共に亡くなっていたと思います。そのときから,縁があって生かされた命であり,私には生かされた役割があるのではないかと考えるようになりました。
 長男は大学病院で腸を作ってもらいましたが,その後,胆道閉鎖の疑いがあり,手術を受けないと後数カ月の命と宣告されます(成功率は2割以下)。しかし私たち夫婦は手術同意書にサインをしませんでした。この世に生を受け一度もこの胸に抱くことなく,おっぱいを吸わせることもなく,毎日,検査のために授乳を制限され,おぎゃ,おぎゃと泣いている子を見ていると,この子の寿命がそれだけなら,残された時間,いっぱいおっぱいを飲ませお風呂にゆっくりいれて,添い寝をしてあげたい,と考えたからです。しかし,医師の(偉いと言われる)冷たい言葉は今でもはっきりと私のこころに残っています。「それでもあなたは母親ですか? 母親なら1%の可能性にかけるものです。あなたに愛情はあるのですか?」と。しかも看護婦など大勢いる前で。びっくりしました。それからです。手のひらを返すような病院の仕打ちが始まりました。先生の言うことを聞かない患者,あなたが医師の診断に従わないのだから,医療費が無料になる書類は書かない,突然,病室にインターンを連れて入ってきて長男の障がいについて説明をする医師,その医師の態度は人間を見るということより,まるで物を見るような冷たい視線で,私の心は悲しみと怒りでいっぱいになったことを今でも思い出します(幸い長男は手術をうけないで生きることができました)。
 その病院で多くの障がいを持った子どもを産んだ母親たちに出会いました。なかにはそのために離婚をさせられてしまったり,絶望して親子心中をした母親もいました。私も同じ状況なのに生きてこれたのは,どうしてだろうと考えるとき,いつも温かく見守り,支えてくれた親戚や友人がいたからです。どんな状況になっても昨日のあなたと今日のあなたは同じだよと言ってくれ,ありのままの私たちを同じ人間とし,共に生きていくという仲間がいてくれたから生きてこれたのだと思います。私の母もおまえが悪いのでないよと言い続けてくれました。ありがたかったです。それから私は性教育や福祉教育に関心を持つようになったのです。
 待ちに待った,初孫が誕生しました。それが2歳の時に重度の自閉症だということがわかりました。それがわかったときに,お嫁さんにすぐに言いました。「産んだあなたが悪いのではない,神様があなたたち夫婦を選んでくれたのだよ。だから大事に育てていこうね。」と。そしてその障がいについて,医師が告知するときも,立ち合わせてもらいました。とてもいい医師でした。温かい心の方で母親の気持ちを理解し,寄り添うように告知してくれました。苦しいときはいつでも相談においてなさいとおっしゃってくださいました。うれしかったですよ。生きていけると思いました。
 障がいをもってみると,人の心が見えます。同情する人,じゃまなんだよと言う人,無関心を装う人,さまざまです。障がいを持った人間を,効率という基準で測れば価値がない人間ということになります。人間の価値を決めるにはそれだけでいいのでしょうか?
 私の孫が,心の豊かな社会かどうかのバロメーターになると思っています。障がいを持っている人が地域で生きていける社会は,誰もが安心して生きていけるからです(障がいは誰もがいつか経験することだと思いますから)。
 神様がいつの時代にも,どこの国に障がいを持った子どもをこの世に誕生させるのは意味があるのではないか,みんな一緒に生きていくことが一番大切なこと,価値あることだと気づかせたいからなのか?と思うようになりました。
 今年の夏,NHK学園主催のスウェーデン福祉研修に参加してきました。そこで何回も聞いた「戦争に勝る破戒なし,福祉に勝る平和なし」という言葉が私の心に残っています。福祉の反対側に戦争があり,福祉の道は平和につながるのです。福祉に関係する人たちだけが福祉を学習するのでなく,国民全員が福祉を学ぶべきだと思います。
 障害という言葉については若い学生たちに考えてほしいと願っています。私も機会がある度に言い続けてきましたが,年配の方々の意識を変えることは難しいです(私が出会った人たちのですが)。「たかが言葉でしかないのでは(されど言葉じゃない?)」,「法律がそうなっているから(法律って人が幸せになるためにあるんじゃなかったの?)」,「そうなの。知らなかった(マザーテレサは言いましたよ。愛の反対側は無関心だって)」。
 あなたがその立場だったら,障害者と呼ばれたいですか? 障害に代わる言葉を考えてください。「障がい者」,「障経者」,「要支援者」など。
 そして私のように障がい児を産んだ母親が一番必要としていることは,福祉に携わる方々の専門的な知識やスキルもさることながら,それを支えるあなたの人間性(どんな状態の人も尊厳ある人間として接することができる)を求めているのです。その人間性(心)に出会ったときに,元気を出して生きていくことができるのです。
 免許を取るために必要な知識,スキルだけ学習しないでください。福祉の心(人間性)を磨いてほしいと願っています。思いつくままとりとめのないことを書き,恐縮ですが若い学生の皆さんに期待しています。

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