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仏教専修科

活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度達磨忌?萩野浩基元学長七回忌

活動概要

十月十三日に奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度達磨忌の法要を行いました。今回は達磨忌法要の後、続いて萩野浩基元学長の七回忌法要を営みました。
学長法話
理事長挨拶
学生の三田村尚範君。下級生のよき模範です。

理事長挨拶

皆さんご苦労さまでございます。本日は達磨忌の法要、そして引き続き萩野浩基先生の七回忌の法要ということです。達磨様の命日は本来ですと十月の五日がその日になっていますけれども、大学の日程の都合で今日行います。しっかりと務めていただきたいと思います。そしてまた萩野先生を偲んで法要をつとめていただきたいと思います。なにとぞよろしくお願いいたします。

学長法話

改めまして、本日は達磨忌ならびに先の萩野学長先生の七回忌のご法会、ご参列?ご焼香賜りまことにありがとうございました。学長として深く感謝申し上げます。また特に渡辺先生にも駆けつけていただきまして、ご臨席賜りありがとうございました。

さて、冒頭に理事長先生からお話がありました通り、まずは今日、達磨忌であります。授業でも学んでいらっしゃると思いますが、菩提達磨大和尚、西天二十八祖と云われます。すなわち、お釈迦様から数えて第二十八番目のお祖師様。脈々と受け継がれた禅の教えを中国に伝えられましたので、中国禅宗の初祖ということになります。今日はその命日をご供養申し上げる達磨忌。諸説ありますが西暦の五二五年あるいは五二八年ごろという説が有力なようであります。中には実在を疑う方もいらっしゃいますが、おそらくは誰かが伝えたには相違ございません。私は菩提達磨大和尚という方がいらっしゃったのだと信じておる者のひとりでございますが、いずれにしましても、達磨様がインドから中国へとお釈迦様の教えをまっすぐに伝えられ、坐禅の教えを旨とする宗派を伝えられたのであります。その出だしには、まことに見事なまでにちぐはぐな出来事があったのであります。

当時中国は梁の国、その梁の武帝という皇帝が、丁重にインドの高僧である達磨和尚を迎えられたのですが、武帝の考える仏教の考え方と達磨和尚の考える仏教の考え方が、天と地ほどにも違ったというのです。達磨和尚様はその後、嵩山少林寺というお寺に、揚子江を渡って赴き、そこで面壁九年、九年間の坐禅をおつとめになるのでありますが、しかし、ここが人生の面白いところであります。出会いがちぐはぐでおかしかったからこそ、逆に、仏教が何たるかという追求、そして真実が露になったのであります。その様子が『従容録』という曹洞宗の祖録の中にこうあります。「卞和三献、未だ刑に遭うことを免れず(べんかさんこん、いまだけいにあうことをまぬかれず)。」ちょっと難しい言葉かもわかりませんが、せっかくの機会ですのでその物語を紹介します。

昔、中国に小さな国がありました。その国の財政に携わったのが卞和(べんか)という役人でありました。今で言えば財務省の官僚ということになります。しかしその国はとても貧しい小さな小さな国でした。国家の運営も財政難で毎日苦しんでいるというありさまでした。卞和はそれでも何とか国を立て直したいと一所懸命財務を司っておりましたところ、ある日、屋敷の裏で大きな石ころを見つけます。金剛石の原石であります。金剛石とはつまり、今で言えばダイヤモンドです。「ああこれはすごい。これはダイヤモンドの鉱脈があるに違いない」と思った卞和は、時の武王という王様にそれを献上いたします。「武王様、どうかどうかこの金剛石の原石でこの国の財政を立て直して下さい。そして、鉱脈がきっとあるに違いありません。その鉱脈を掘り起こして、どうか国を富み栄えさせて下さい」と言って献上いたしました。さて、武王はそれを手に取ると、「何だこれは。ただの石ころじゃないか。こんな石ころでこの国が富み栄えると?お前は今日いい話があるというので、楽しみにしてきたのだ。これは何だ。そこらの石ころを持ってきて、これが国の栄える本だと?ふざけるな」と言って、あろうことか、罰として卞和の右の足を足首から切り落としてしまいました。それでも卞和は、「国のために何とか」と思いながら家で謹慎しておりましたところ、時代は武王から霊王の時代になりました。「今度の王様ならわかってくれるだろう」ということで、卞和は再びそれを献上いたします。すると霊王もそれを手にとって、「何だこれは。ただの石ころではないか」と放り出してしまいます。「しかも、そなたは前の王の時にも、これで王をたぶらかそうとしたというではないか。許さん」と言って、今度は反対側の足を足首から切り落としてしまいました。何ということでしょう。国のため、困った民のためにと献上したにもかかわらず、二度も罰せられた卞和。それでも時は流れ、次に文王の時代になります。「今度の王様こそ、これを分かってくれるに違いない。しかし今度間違えられたら命はない。けれども構わない。国が、民が、栄えるのならば、この生命を捧げるつもりだ」と、石をまた持っていきます。三人目のこの文王は違いました。「うーん、ただの石にしか見えぬが、確か、石というものは磨いてみなければわからないと聞いた。それ、研磨工を呼べ」ということで、早速磨き上げますと、世にふたつとないような見事なダイヤモンドが現れました。そして王様は卞和に詫び、取り立て、やがてその小さな山国が栄えることになったということです。

以上が有名な「卞和三献」の故事でありますが、達磨大師がお釈迦様のお悟りという金剛石のようなさとりの境地をもってきました。けれども、時の武帝はそれを見抜くことができなかった。真実は「あるかないか」ではなく、「見出すか見いださないか」にあるということが、そこに示されているのであります。今日は達磨忌。与えられた一日、与えられた一生、与えられたこの世界は、かけがえのない金剛石よりも価値のあるものです。ただの石ころに終わるのか、金剛石になるのか。それは石が変化しているわけではないのです。そこに何を込めるか、何を見出すかということによって、この世界が真実として開けてくるというのです。

思えば、休広忌。萩野浩基先生は、この大学で多くの真実を伝えられました。先日も女優の室井滋さんが、「東北福祉大でのご葬儀で弔辞を読ませていただいたことが今でもありがたい思い出です」と、声をかけて下さいました。室井さんいわく、「萩野先生は大変学生に愛され、人々に親しまれた方で、授業のとても上手な先生だった」とのことです。室井さんは「萩野節」とおっしゃっていました。まことに、まことに、教育の宝をこのこの世界にお捧げになった大恩人のひとりであります。萩野先生のみならず、この学園は多くの過去の先人のおかげで、今こうして栄えております。来る奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】七年には、学園創立百五十周年を迎えます。皆様におかれましては今日のお気持ちを改めて胸に刻んでいただきたいと存じます。今日は休広忌。ちょうど、東日本大震災から十年の節目にもなります。陣頭指揮をとっておられたその頃の先生の姿を、私も思い出しております。決して忘れません。決して忘れまいと願いつつ、今日はお勤めをみなさんと心をひとつにして申し上げた次第でございます。言葉は整いませんが、達磨様と卞和三献の故事、ご記憶いただければ有り難く存じます。