仏教専修科
活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度達磨忌
活動概要
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達磨忌
本学では仏教専修科学生の講義日程の関係で10月19日18時より、千葉学長を導師として仏教専修科教職員及び学生によって国見キャンパス法堂でこの達磨忌法要を開催しました。とりわけ今年4月に入学した新入生にとっては、初めての正式に衣を着ての法要随喜でした。着物も着られなかった学生が、半年間で立派な法要を務めるようになったことを千葉学長に褒められるほど、立派に配役を果たされました。
法要後に導師の千葉学長より達磨忌に因んだ法話を頂き、達磨大師が禅宗二祖の慧可らに説いた「二入四行論」が紹介されました。「理入」「行入」の二つからなる悟りの世界への入り方(二入)、そこに至るための報冤行、随縁行、無所求行、称法行の四つの行(四行)を説明くださり、争いの絶えない昨今の世界情勢だからこそ、「冤」(恨み辛み)を乗り越えていくことの大切さをお教えくださいました。最後に再度「二入」に触れられ、本学の建学の精神である「行学一如」と関連付けながら、学生諸君が御仏の教えに通じる「人として輝く一生」を送ることの大切さを訴えられて法話を締められました。
達磨忌を機に、道元禅師、瑩山禅師、如浄禅師、達磨大師、そして釈尊へと連綿として通じる法の意義を改めて感じることのできるありがたい機会でした。
学生のことば
松村俊永(一年生)
「毎回、凄く緊張しますが、これからも積極的に法事に参加して、たくさんのことを覚えていきたいです」
三宅俊翔(一年生)
「ようやく慣れてきました。ひとつひとつの作法のすべてに意味があることを教えていただきました。もっと勉強していきたいです」
学長法話
皆様、本日は達磨忌のご法要、お勤め誠にお疲れ様でございました。特に本日お勤め頂いた学生の皆さん、それぞれのお役目本当にご苦労様でした。コロナ対策など、制限された中でこうして立派にお勤めいただいたことは、学長としてまことに誇らしく、皆様の立派なご作法に心から敬意と感謝を申し上げます。また、ご指導いただいた先生方にも心から感謝申し上げます。ひとつひとつのご作法には意味がございます。繞行といって、先ほど廻りましたが、あれもお経をお唱えしながらぐるぐると廻って歩く作法、授業の中でもあったかもしれません。どうしてお経をお唱えしながら廻ったか、おわかり頂けましたでしょうか?これは古く、お釈迦様の時代からそうなのでございます。右回りでお釈迦様がお言葉を述べて、「言葉が少しでも世界に届きますように」ということなのです。皆さんがあげて頂いた観音経というお経、「世の中から戦争がなくなりますように」、「世の中から災いがなくなりますように」、「少しでも天災地変が鎮まりますように」、そういう人間の幸せな一生、そして人間のみならず、この大地をともに生きるすべての生きとし生けるものの幸せを願って、その言葉がこの世界、大地に満ちあふれるようにという、お声が少しでも周囲に届くように考えられたお作法でございます。今日は皆さんの高らかな観音経というお経の願いと教えが、この国見キャンパスをはじめ、世界中にとどいたものと信じております。今、世界中で多くの人が苦しんでいます。そういう世界の裏側に至るまで、観音菩薩の慈悲の功徳が皆さんと共に届けられたらと、ひとつひとつお拝をしながら、お経をあげながら、一歩ずつ歩みながら、共に過ごすことができました。
さて、本日は達磨忌。冒頭の法要ご解説にありましたように、お釈迦様から数えて第二十八祖となるのが菩提達磨大和尚様でございます。皆さんのゆかりのお寺でもお祀りいただいていると思います。禅宗の初祖であり、『景徳伝燈録』等に記録があり、『二入四行論』というお示しを遺されております。これはおそらく、授業でも触れられたかも知れません。中国での第二祖、慧可和尚にお授けした教えとして知られているものです。「二入」とはふたつの入り方、「四行」とは四つの行いということです。「二入」とは、「理入」と「行入」という、さとりの世界へのふたつの入り方。「理入」とは、理論?経典?言葉によってさとりに入る入り方。「行入」とは、実践によって、行いによって入る入り方です。お気づきでしょうか?そうです。「行学一如」という建学の精神の理念を、ここに見出すことができるのであります。これは道元禅師様、瑩山禅師様の教えであり、その源である達磨大師様の教えでもあったということです。経典、言葉、知識として私たちは学問を重ね、同時に実践、行いによって奥深く入って行かなければなりません。それは車の両輪のごとく、あたかもふたつがひとつ、ひとつがふたつという形をとって、さとりの世界に私たちがみなひとり残らず入ってゆこうということです。それでは、具体的にその世界に入るための、さとりに至るための四つの行とは何か。それは「報怨行」、「隨縁行」、「無所求行」、「称法行」の四つであります。詳しいところは授業で学ぶかもわかりませんが、今日は簡単に紹介します。
「報怨行」というのは、怨みに報いる行です。普通、「ホウオン」と言うと「報恩」だと思うかもしれません。しかし達磨大師様は現実の社会を、人間の心を見抜いておられます。人間にとって一番乗り越え難いものは、今、世界中で戦争があることからもわかるように、自らの心の中に棲む怨みであります。人はそれを必ず乗り越えていかなければなりません。報怨行の「怨」の字は、書物によってはワかんむりにウサギで「冤」とも書きます。普段見慣れない字かもしれません。ウサギというのは千々に乱れる私たちの本能を表します。ワかんむりはそれに網を打つ、すなわち、われわれの中にふつふつと沸き上がる、怨念を含めた思い、そうしたものを、ウサギに網をかけるようにコントロールしていく、ここが肝要だと言う教えです。
怨みに報いる行の次が「隨縁行」。「隨縁」は、縁に従って生きるということです。私たちは良くも悪くも、縁にしたがって生きています。私にとって、あなたにとって、良い縁、悪い縁、さまざまにあるでしょう。しかし、その縁を活かして生きてゆく。あくまでも足元を見つめる、禅の教えらしい行であります。
三つ目が「無所求行」。つまり、求めるところを少なくしてゆく行ということであります。「あれが欲しい、これが欲しい」「あれも私のもの、これも私のもの」人間はややもすると、そういう自分の欲望に走ってしまいがちです。それは私とてそうかもしれない。そう思ったとき、自分の感情や欲望を、節度をもって見つめ直したい。これが三つ目のものです。
そして四つ目が「称法行」。「法にかなった行」という意味であります。ここで「法」というのは「道理」、「世の中の正しい教え」というほどの意味です。それに仏教では法律の「法」という字をあてています。インドではこれを「ダルマ」と言います。そう、達磨大師の「ダルマ」はこの「法」、「世の中、宇宙全体の道理」そのものを示すものなのです。その道理に従った人が人らしく、命を与えられた者が法に従って人間らしく生きていきたい、この行が四つ目のものとなります。
お話しが長くなりましたが、「行学一如」の建学の精神にも、直に通じる教えでもありました。どうぞ生活の中で、皆さんがひとつひとつ、理にかなった生き方、これを目指していただきたいと思います。仏教専修科の皆様は、それぞれがそれぞれの学部学科で、思い思いの自分の夢に向かって勉強されていると思います。しかし、その先にある志は、人が人として輝く一生、仏の教えそのものに究極的には通ずるものと信じております。
今日は達磨忌。達磨さんの教えを紹介して、今日のお話といたします。以上です。