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[心理学実験 I ] 心理学ではなぜ実験をするのでしょう
教授
小松 紘
●実験(experiment)とは
私たちの毎日の生活のなかで,何も問題なく過ごしているときには気づかないことでも,いったん困ったことが起こると,どうしてそのようなことが起こったのだろうかと,いろいろその原因を問題にし,それらの因果関係を考えることになります。たとえば,Aさん宅で一緒に暮らしているおじいちゃんが,座敷でつまづき転んだとします。このとき「おじいちゃん気をつけてよ!」と言っただけで終わってしまわないで,どうして転んだのだろうかと考えて欲しいものです。
この場合,転ぶという結果を引き起こした原因として,大きく(1)座敷内の物の配置や畳の状態,照明などの環境側の要因と,(2)おじいちゃん自身の運動能力や注意のしかたなど,心身機能の問題,さらにはおじいちゃんが日頃不注意な人なのかどうかといった,当事者側の要因が考えられるでしょう。でも,おじいちゃんに尋ねたところ「暗かったので」という答えが返ってきたとしたら,照明の適正さが問題にされなければなりません。そこで照明が調べられることになります。
さて,いざ調べようとすると,私たちはそこに様々な問題が存在することに気づくことになります。たとえば,照明が適正であるかどうかは座敷の広さと関係があります。洋間の場合はとくに壁面の材質や明度,色なども取り上げられなければなりません。でもおじいちゃんは日本間が好きなので,家の中にある4.5畳,6畳,8畳の部屋それぞれについて,30ワットの蛍光灯1本,同2本,同3本と照明条件を変え,明る過ぎずまた暗過ぎず,しかも足下にある物を見つけやすい条件を調べることになりました。実はこれは立派な実験場面ということになります。そして「転んだのは照明が不適当だったからではないか」という仮説(hypothesis)のもとに実験がなされることになるわけです。
●実験における配慮
不明なこと,わからないことをいろいろな方法を用いて調べ考えて,真理を究明することを研究(study,investigation,research)といいます。実験はその問題の因果関係についてある仮説を立て,それを検証するために,他の要因を一定にして原因と思われる要因を系統的に調べ,そこに存在する法則性を明らかにする研究法のひとつです。他の要因を一定にすることは,ふつうの生活では無理なことが多いので,必要に応じて照明や音,湿度,換気などを統制(コントロール control)できる特別な部屋が作られますが,これを実験室(laboratory)といっています。心理学の歴史では,1879年にドイツのライプチヒ大学に世界で初めての心理学実験室が,W.Wundt(ウィルヘルム ヴント)によって設立されました。ここから科学的心理学がスタートしたといわれています。
科学が備えなければならないことは,経験的に確かめることができる実証性と体系性,論理性ですが,実験はこれら科学的知識を得るための有力な手段といえます。上の例でいえば,おじいちゃんが転んだのでお隣に相談したところ,30ワットの蛍光灯2本がよいと言われたとしても,それは日常的知識であって科学的知識ではありません。3つの部屋それぞれにおいて,蛍光灯の本数に関する3つの条件ひとつひとつを実際に試し,おじいちゃんの印象を訪ねてみて,初めてその部屋にふさわしい電球が決まるのです。この場合蛍光灯の本数を独立変数といい,おじいちゃんの明るさ感あるいは見やすさ感を従属変数といいます。さらに部屋の広さは助変数(パラメータ parameter)といわれます。実験は一般に要因を操作する実験条件(または実験群)と,要因を操作しない統制条件(または統制群)を設けて結果を比較し,要因の効果を調べます。しかし,上の例のように要因間で比較する場合もあります。いずれにせよ,このような手続きを経て得られた知識は科学的知識といえます。この例でのおじいちゃんは被験者(subject)であり,照明と適正さを調べたAさんは実験者(experimenter)になります。
しかしAさんの試みも1回だけでは偶然の結果かもしれないので,何回か調べてみることにしました,そのことによって得られた知識はより信頼性(reliability)のあるものになり,さらにまた,多くのお年寄りに参加してもらって調べれば,より客観性(objectivity)が増すことになります。また蛍光灯の本数を変えてみたAさんの試みも,おじいちゃんの部屋の照明を決める方法としては,一応妥当性(validity)のある方法といえます。ところが,もっと厳密さを要求する実験では明るさと色とを分離し,明るさの効果だけを見たいなら,光のスペクトル分布を変えてしまう電圧調節法ではなく,観察対象と照明光源間の距離を変えたり,NDフィルターを用いたりします。また測定に際しては,照明強度の測定順序をランダムにして,順序効果を相殺したり,被験者となる男性,女性の人数を同じにしたり(これをカウンターバランス counterballanceといいます),いろいろと配慮しなければならないことが多いものです。おじいちゃんの部屋の好みなど,被験者の内的条件を考慮すれば,事態がさらに複雑になることはご想像いただけると思います。
実験は,一言で言えば,確かな知識を得るために行われるのですが,とくに上に述べたような,刺激の物理的側面を操作することによって,人の意識や行動を調べる方法は,精神物理的,あるいは心理物理的実験として比較的長い歴史をもっています。この方法では実験に際して,被験者に競争意識などもたないよう,また実験者にも結果に特別の期待などもたないよう求められます。後者は実験者変数などと言われていますが,これを防ぐために,実験の教示(instruction)をテープレコーダーに吹き込む方法が用いられたりします。しかし実験の中には,被験者や実験者の内的条件,あるいは相手への印象や効果を,積極的に調べようとするものもあり,さらには騙し(deception)のテクニックを用いたりするものもあります。
次の機会にはそのような研究をご紹介しましょう。