【学習サポート】
明日を開く社会教育
社会教育学科 教授
荒井 邦昭
生きるための学習
私たちは日々,新しいことに出会い,これまでの経験や知識に照らして対処し,それをまた新しい知識や経験として自分のなかに蓄積して生きています。そうした営みは,猿から人間に進化をはじめたときから続いてきたことでしょう。共同生活のなかで学びあい,それを次の世代に伝え,一歩一歩知識と技術を高めて今日の文明を創ってきました。「学習」は人間の進化にとって欠くことのできないものでしたし,産まれた子どもが一人前の大人になるためにも欠くことができないものです。
その「学習」はかつては生活をするなかで行われていました。知識と技術の集積が大きくなり,文明が生まれる過程で,その蓄積を学ぶための特別な組織が作られ,生活のなかに「学習」のための特別な時間がつくられるようになりました。それが「学校」で,はじめはごく一部の者のためにつくられましたが,産業の発達にともなってその対象は拡大し,近代社会に入って国民国家の成立のなかですべての子どもたちを学校に組織する国民教育が成立してきます。今の学校教育の始まりです。そしてさらに産業が発達してくるなかで学校教育が拡大すると同時に,学校卒業後の人々を対象とする教育の必要と要求が生まれ,社会教育が成立してきました。
くらしこそ社会教育の基礎
社会教育は,学校以外の場で行われる青少年を対象とした文化?スポーツ?レクリエーション活動を含みますが,その中心は,学校卒業後の社会人の学習です。通信教育で学ぶ皆さんは,まさにその中心のひとりということになります。ですから,皆さんのひとりひとりがいまの学習に期待し,実行し,またぶつかる困難のなかに社会教育の学問が対象とする社会的な事象が具体的に示されています。同じ通信課程で学ぶ仲間が何を求め,どんな困難があり,何を支えに頑張って,どんな方法で努力しているかを明らかにしていくことは社会教育の学問としても大切なことです。自分自身と自分たちの学習を見つめ分析することが社会教育学科で学ぶ大きな力になるのです。
みなさんが入学した自分の動機を考えたとき,急速にしかも必ずしも望ましい方向ばかりではなく変化している社会状況が,その背景にあることがわかると思います。まさに今の戦争やテロの問題,長寿社会のなかでの健康や生きがいをどう実現するのか,モノにあふれた日本の社会で子どもの育ちのゆがみの問題,「豊かな」生活と環境破壊の問題,急速な技術と産業の変化のなかで生活の糧をどう得ていくのか等々,否応なしに判断を迫られることにあふれています。1985年ユネスコ国際成人教育会議で採択された「学習権」の宣言*は,まさにそのような問題に対処していくために,問題の当事者に「学習」が実現される必要があることを明らかにしています。現代社会においては,明日のよりよい生活を実現するために,まさに福祉社会の実現のためにすべての人の生涯にわたる「学習」が求められているのです。
くらしを開く力を身につける
社会教育学科の学習の目標は,(1)私たちが学び続けることがひとりひとりにとって,また社会全体の進展にとってどのような必然性があるのかを明らかにし,(2)その学習がよりよく進むために必要な制度や態勢はどうあるべきかを考え,(3)今学習を求めている人や学習を進めている人に,その学習がスムーズに進められるよう援助することができる力,技術的援助のできる専門的な力を身につけることにあります。
それは,職業としてみれば,社会教育の専門職員,つまり,社会教育主事や公民館主事,図書館の司書,博物館の学芸員等になりますが,職業とはしなくても,子どもたちの体験学習や野外活動の指導に生かす人,サークルや学習団体の発展の力とする人など,団体活動やボランティアに役立てることもできます。実際そのような方も多く入学されています。入学に際して立てた学習の目標を焦らずに実現するとともに,周囲の人に,夢を実現するための学習を広げる努力をしてみてください。社会教育は実践の学問ですから,単位にはありませんがその努力自体が「社会教育の実習」であり,今までに得た社会的経験もテキストから学ぶときに大きな力になります。どうか,ゆっくりと着実に学習を進めてください。これからの自分と望ましい社会を切り開く確かな力が得られるはずです。
*「学習権」の宣言
1985年第4回ユネスコ国際成人教育会議
(前略)
学習権とは、
読み書きの権利であり、
問い続け、深く考える権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
個人的?集団的力量を発達させる権利である。
(後略)