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[社会福祉学科]
『社会福祉原論』考 —その必要性について—
教授 田中 治和
本学通信教育部開設時から,『社会福祉原論』を担当する教員として,常々考えている一端を論じてみたい。それは極めて基本的かつ根源的問題である。すなわち「社会福祉原論は,必要なのか……?」である。これは,多くの学生履修者から言えば,驚きというより“呆れた”疑問と思われる方が大半ではなかろうか。年間約700人が履修し,日々レポート課題に真摯に取り組まれている学生からは“冗談”ではすまされない発言と受け止められることであろう(「必要がないなら,再提出を求めるな!」と)。
しかし,この問題は私が真面目に考えている結果である。より直裁には私の存在理由への問いであり,生活の糧である職業としての大学教員を失職することをも意味する重い設問でもある。
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本学社会福祉学科の教育課程(または社会福祉士受験資格希望者)では,『社会福祉原論』は,その履修前(すでに1年次)に『児童福祉論』『高齢者福祉論』『「障害」者福祉論』等を学習し,その継続に位置づけられている。また2年次以降には『地域福祉論』『公的扶助論』も開講される。とすれば,『社会福祉原論』は何を学習すればよいのであろうか。学生の方々は,この科目に何を期待(希望)されているのだろうか。通年『社会福祉原論』は,社会福祉全般に関わる基礎的知識の学習を目的とすれば,実際には,[社会福祉全般]?(児童福祉+高齢者福祉+「障害」福祉+地域福祉)=[社会福祉の歴史&社会福祉行財政&その他]に収斂する。これらは,社会福祉士国家試験の合格水準には必要な事項であるが,そのためのみのレポートとスクーリングなのか……。
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ご存じの通り『社会福祉原論』の課題レポートは,4分の3は前述の基本的知識の要約にあてている。そして4単位めに《自らの社会福祉観》を問うている。つまり4分の3は「社会福祉がどうなっているかの,知識の吸収」であり,4分の1が「社会福祉をどう捉えるかの,問いかけ」である。私は,この4単位めを『社会福祉原論』の最終的つまり究極的目標としている。
すなわち,『社会福祉原論』の社会福祉学教育研究の位置と役割は,“社会福祉一般の基本的知識の学習と《社会福祉観》の涵養”と措定し,特に後者《社会福祉観》にこそ,他の履修科目との顕著な違いがあるものと考える。あえて誤解を恐れずに言えば,現在の教育環境および機器の整備を考慮すれば,知識の学習の大半は,個人学習で充足できようが,《社会福祉観》の涵養には,やはり大学の場が必要不可欠であろう。
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社会福祉にとどまらないが,他者の人生にかかわらざるを得ない〈実践〉と〈研究〉には,その対象すなわち利用者に問いかけるためには,同時にまた厳しく《自らをも問いかける方法》しかないのではなかろうか。したがって,《社会福祉観》の涵養には,迂遠的であろうとも,自らの人生観,人間観,価値観,そして世界観を吟味する姿勢が求められよう。『社会福祉原論』のレポートとスクーリングが,それらを考える学生にとっての“時空と機縁”となれば,担当教員としては,望外の歓びである。そしてここに『社会福祉原論』の必要性の所以を求めるものである。
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