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【現場から現場へ】

[OB MESSAGE]
共生共歩(ともにあゆみ,ともにいきる)

知的障害児施設 希望学園 施設長
日向 透

●はじめに

 私の採れたところは,北海道富良野。そうあの『北の国から』の舞台となった冬の厳しい,のどかな街である。四方,山に囲まれた盆地で育った私が,大きな不安とチョッピリの期待を胸に,「杜の都仙台」へ旅立ったのは,昭和49年の春であった。
 あれから数えて,早29回の秋を迎えている今,ふるさとに近い,旭川市「社会福祉法人新生会知的しょうがい児施設希望学園」に勤務している。社会福祉法人新生会は,旭川市に希望学園と知的しょうがい者更生施設「第二希望学園」,留萌管内(日本海沿い)の初山別村に知的しょうがい者更生施設「初山別学園」と知的しょうがい者授産施設「風連別学園」,同じく小平町に知的しょうがい者更生施設「小平町立おにしか更生園」と知的しょうがい者通所授産施設「ほっぷすてっぷ」を経営している全国でも数少ない広域法人である。その中に私を含め,5名の東北福祉大卒業生が勤務している。

●知的しょうがい児施設 希望学園

 私の勤める「希望学園」は,児童福祉法に基づく入所型の施設である。本来の目的は,「知的障害の児童(18歳まで)を入所させて,これを保護するとともに,独立自活に必要な知識技能を与える」にあるが,本誌『With』12号の鱒渕さんの文章にもあるように,現在入所利用している方は,年齢を超過した児童(過齢児という)がほとんどである。すなわち,入所更生施設と変わらない実態である。

●はじめての福祉施設

 学生時代にはじめて訪ねた福祉施設が,船形コロニー。車が玄関先に止まったかと思うと,車に群がる利用者(このころは園生と呼んでいた)さんたち。思わず身固め,無意識のうちに窓を閉め,ドアロックをした経験がある。ハンディのある方に福祉サービスを提供してその代価を得ている私にとって,今考えるととても恥ずかしいことである。そんな思いを引きずりながらも,重度心身しょうがい児者施設や知的しょうがい者施設(当時は精神薄弱者と言っていた)で実習を重ねていた。
 そして,いよいよ「希望学園」に勤務。卒業式も出ず,3月のはじめより実習?(三度の食事だけはしっかり食べさせてもらった。それと酒!),朝6時から夜9時まで通しの勤務のなか,とても新鮮で毎日がむしゃらにみんなと戯れた。でも気づいた時,言語でのコミュニケーションがとりづらい利用者との距離は縮まっていないし,言語のある方との信頼関係もまだまだであった。

●通じ合わない気持ち

 忘れもしない昭和53年4月19日(まだ初給料をもらっていない,ひもじい時)。勤務は当直。夕食後,担当していた利用者さんと前庭(ブランコ,シーソー,ジャングルジムなど)で遊び,西の空が夕日で染まり,カラスが鳴きながら家路へ向かうころ,施設の中へ戻るよう促し,人員を確認するが2名足りない。何度も数え直すがやはり足りない。「どうしよう,いない。どうしよう,たいへんだ」と,頭の中がパニックになっているとき,先輩職員が「いないのはK君とN君。リヤカーを引いて遊んでいた。すぐ,他の職員に連絡をして探そう」と指示を出してくれた。1時間ほどの捜索で事なきを終え,無事保護。「どうして?(出て行ったの)」に要領の得ない答え。その後も何度かK君は単独行動をとり,所在不明になる(特に私が勤務するときが多い)。

●やった! 通じた!

 時は経ち,季節は夏,場所は体育館。体力維持のためのフロアーのカラぶきの最中。「よーい?ドン!」でいっせいにスタート。Uターンしてくるとみんな息を弾ませている。「よ?し。もう一回」と,何回かカラぶきをする。号令でスタートし,向こうの壁にタッチして帰ってくる。
 ゴールをするとみんなが「ハーハー」と大きな息を弾ませる。ふと横を見ると,あのK君も「ハーハー」そして私も「フーフー」。K君が私のほうを見て,「ニヤリ」。「おっ,ひょっとすると」と思い,もう一度「よ?い?ドン!」前方の壁にタッチして戻ってくる。「ハーハー,フーフー」お互いに顔を見合わせ「ニヤリ」。もう一度と指を1本立て,「よーい?ドン!」。「やった!通じた!」もう言葉なんかいらない。

●その人の一番信頼する人と……

 もうひとつ,こんなケースを……。
 どうしてもコミュニケーションが取れない利用者の方がいた。言語がなく,ひとりで音楽を静かに聴いたり,紙ちぎりをしていることが多い。関わりを持とうとアプローチをするが拒否が見られる。担当者になって1年経つが,コミュニケーションをとるのが困難である。
 確か1年数カ月の月日が経った運動会。午前の部が終了し,昼食時間。思い切って家族がお弁当を広げているところへ乱入。その人が一番信用しているおばあちゃん,お母さんと大した意味のない話を親しげにした。するとどうだろう,ちらちらこちらを見て気にしだした。それから,ことあるたびにお話しをし,帰省の際は家庭訪問もした。1年くらい経つうちに「オレの一番信頼するおばあちゃんやお母さんと親しく話をするやつはオレの味方だ」でも思ってくれたのか,少しずつ心を開いてくれた。
 職場に入りたてのころは,このように壁に当たりながら試行錯誤を繰り返していた。

●おわりに

 本学を卒業してからの出来事をかいつまんで羅列してしまった。私の経験?体験をしてきたことが皆様のこれからの人生の一助となればと思い,筆をとってみた。社会福祉を目指す皆様に参考になったかは,はなはだ疑問ではあるが……。本学には,在学中いや卒業後も大変お世話になり,ほんの恩返しのつもりで。

合掌

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