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VOL.21 AUGUST 2004

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[OB MESSAGE] 振り返って いま

知的障害者更生施設 吹浦荘(ふくらそう) 援助専門員(兼)総括SV
伊藤 斉(ひとし)

◆学生のころ

 原稿の依頼があって,改めて学生時代の頃を思い出してしまいました。私が福祉大に入学したのは昭和46年です。当時は,学内外で学生紛争がまだ残っていて,なんとなく落ち着かない時代だったように思います。昭和47年の大学2年当時,最近映画にもなりましたが,浅間山荘事件が起こり,テレビの生中継をじっと見入ったのを覚えています。一方キャンパスでは,ギターを爪弾きフォークソングを歌う学生の姿も多かった。当時,仙台駅前に歌声喫茶「若人」という店があって私もよく通ったものでした。貧乏学生であった私は,勉強はそこそこ。アルバイトを優先していた毎日でした。
 卒業以来30年近くになることを知り月日の早さを感じています。

◆国際障害者年をきっかけに

 卒業後,山形県社会福祉事業団にお世話になっています。事業団が運営している施設は,知的?身体?精神?老人関連の16施設で他に地域福祉支援センター等も加え県内全域に点在しています。採用時は,山形県総合コロニー「希望が丘」で勤務をしましたが,その後は,他の知的障害者施設や特別養護老人ホーム等に勤務し,現在は,山形県と秋田県の県境にそびえる鳥海山の裾野にある知的障害者更生施設「吹浦荘(ふくらそう)」(定員70名)に勤務しています。
 さて昭和50年代の施設福祉は,保護,訓練,指導という言葉が象徴するように,そこで働く大部分の職員は,利用者が地域から離れた施設で終生暮らすことにあまり疑問を感じないで仕事をしていたように思います。私もその1人でした。
 昭和56年「完全参加と平等」をテーマに国際障害者年が始まり,ノーマライゼーションが共通認識として普及しはじめ,これまで知ろうともしなかった福祉先進国の福祉事情を学習する機会が多くなり,これまでの施設サービスに対する考え方や内容を改善するとともに,職員意識を抜本的に見直す時期でもありました。

◆福祉は西高東低

 ノーマライゼーションという言葉があちらこちらで当たり前のように言われるようになった平成4年,3カ月間の国内研修に行く機会に恵まれました。選んだ場所は,北九州市内の施設でした。「東北の福祉は遅れている,南の地域は進んでいる」と当時よく言われ,どのように遅れているのか,どのようなサービスを提供しているのか確認したかったのが理由でした。
 この施設では,現在のような個別プログラムがたてられ,利用者の視点に立ったサービスが展開され,論理と実践が一体となっていました。それに利用者に対する丁寧な言葉遣いや接する態度,その姿勢には,大変勉強させられました。また,研修の合間に視察したコロニー雲仙では,地域移行への取り組みへの具体的プログラム,初めて見るグループホームとそこで生活している幸せそうな利用者の姿がなんとも目に焼きついたものです。
 当時は,見るも聞くも,職員の視点の違いに「西高東低」と言われても仕方がないと実感させられ,勉強のやり直しを覚悟したきっかけとなりました。

◆社会福祉士への挑戦

 これまでの経験や感覚論では,利用者に良いサービスが提供できないことを研修で体験し,勉強のやり直しのため,社会福祉士への挑戦をはじめました。現在は大学で受験資格をもらえるようですが,私の場合は受験資格を取るために通信教育を受け,それから試験を受けなければなりません。勉強に年齢はないと言われますが,40歳半ばからの資格への挑戦は,今覚えたことが,数時間のうちに忘れてしまう毎日で,困ってしまいました。仕事をしながらの勉強はなかなか進まず毎朝3時に起き勉強したものです。学習すればするほど自己反省にかられ自分を見直す機会になりました。
 お蔭様で社会福祉士試験には何とか合格することができ,やっとスタートラインに並んだという思いをしたものでした。

◆知的障害者のグループホーム立ち上げ

 その頃,施設内においては,利用者の長期施設生活に疑問を持ち始め,地域生活を目指そうと動きはじめました。利用者会議をつくり自分たちの生活は,自分たちで作ろうと,意見を出し合ったり,地域行事の情報を提供しコンサートや行事に参加する機会を多くしたり,職場や職場実習先を開拓したり,また,実際にグループホーム生活している仲間と交流したり,施設生活との違いを理解してもらうために色々なプログラムを作りました。できない利用者をできるようにするのではなく,利用者の現在の力でできるように床屋さんやマーケット等のレジの方々に,利用者がお店を利用した時のサポートの仕方をお願いしたりして,地域の環境を変える努力をしました。やがて夢は広がり,グループホーム生活を希望する利用者が出てきました。しかし,家族には,「せっかく施設に入ったのに何でいまさら」と口を揃えて反対されました。地域の方々からも火事を出すのでは,利用者が悪いことをするのではと不安の言葉も多く聞かれました。
 平成10年10月1日,就労先や日中活動も決まり利用者,家族,地域の理解を得て,最初のグループホームが立ち上がりました。利用者の喜びは表情から十分すぎるほど読み取れました。今も生き生きと生活し誰一人施設に戻りたいという人はいません。地域の方々も今では暖かく迎えくれています。グループホームは地域の福祉力を高めるとともに,施設においては,創作活動やパソコン,囲碁等の趣味活動や施設外に作業場を設ける等,自律に向けたサービス内容を見直す良い機会にもなりました。現在は,3つのグループホームができています。平成16年度には,4つ目のグループホームを目指し準備しています。また平成15年10月からは,知的障害児者地域療育等支援事業を山形県より委託され在宅者の相談支援事業を実施しています。

◆これから

 支援費制度がスタートし1年が過ぎました。自分の暮らし方や福祉サービスを自分で選択できる制度は,とても良い制度だと思っています。地域で暮らすには,まだまだサービス事業者やサービス量が不足していますが,これからは,地域で暮らす知的障害者はどんどん多くなると思うし同時に施設の在り様についても変わっていくだろうと思っています。
 これまで利用者の地域生活移行への取り組みをしてまいりましたが,制度や仕組みの大切さはもちろんですが,実際に携わってみると知的障害者を受け入れてくれる地域住民の意識の高さが彼らの生活に大きな影響を与えると感じています。日頃の地域交流の積み重ねがここで生きてくることを実感しています。今後もスタッフの一人として地域生活を希望する利用者の自己実現のために努力していきたいと思っています。

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