仏教専修科
平成29年東日本大震災七回忌法話(大谷哲夫学長)
みなさんこんにちは。今日は東日本大震災の七回忌ということで、すこしお話をしようと思います。
大震災が起こるまで、私はよく、釈尊の時代に生きていたキサーゴータミーという女の人の話をしていました。大震災があってからは一度もこの話をしたことがなかったんです。何か自分の中で引っかかりを感じて、話すことができなかったんです。でも今日はまた、この話をしてみようと思います。
「キサー」というのはインド語で「痩せた」という意味なんですが、貧乏な生活をしていたのが、縁があって裕福な家に嫁いで幸せに暮らしていたんだそうです。ところが、はじめて生まれた男の子が亡くなってしまった。病死してしまったんです。それで、死んだ子供を抱いて「何とかならないか」と言ってお釈迦様のところへ来たんです。お釈迦様は黙っておられたのですが、そのうちに口を開いておっしゃった。「一粒のケシの実をもらって来なさい」と。「各御家庭を回って、ケシの実一粒でいいから、もらって来なさい」と言うんです。そうすればその子の命が取り戻せると言うんです。ケシというのは皆さんご存じのようにカラシの一種で、インドにはどこにでもある。小さな実です。ケシの実というのは小さなものの代表でもあります。「芥子劫」という言葉もあります。これはたとえば、そこの福祉大の本棟のような大きな建物をケシの実でいっぱいにして、百年に一粒ずつ取り出していく、で、ケシの実が一粒もなくなるのが一劫という時間単位だということです。で、そういう小さいケシの実をもらってこいというんです。ただ、今までにひとりも死者を出したことのない家からもらって来なさいとお釈迦様は言われました。キサーゴータミーはすぐに外に飛び出しました。当時のインドにはどの家にもケシの実くらいあるわけなんですが、「お宅ではまだ死んだ方はひとりもいませんね」と聞くと、「いやいや、去年父親が亡くなりましてね」とか「ちょっと祖母がなくなりましてね」という。で、結局ケシの実はひとつももらえない。分けてあげようという好意はもちろんあるんです。でも、今までにひとりも死者を出したことのない家からもらってきたケシ粒でなければ、役に立たない。たったひと粒のケシの実を求めて家から家へとずっと回って行くんですが、汗と埃と涙でぐちゃぐちゃになりながら歩いても、ケシ粒がもらえない。彼女は脚を引きずって帰ってくるんですが、彼女の心のなかには今までとは違った不思議な気持ちが芽生えてきたというんです。私の、自分の息子をなくしてしまったという悲しみなんか、誰にわかるんだ。同じつらい別れを経験した人だって、分かっちゃくれない。そう考えると、今までわざとらしく聞こえてきた慰めの言葉も、だんだんと彼女の心に届くようになってきたといいます。不思議な安らぎの気持ちが芽生えてきたというんです。絶望の中ではじめて知った新しい発見が、そこにあったのです。親しい人の死に遭ったことのない家など、どこにもなかったのです。事実を知ったわけですね。
私の映画の脚本の中でもこの話を使ったんですが、後で考えると、はたしてこういうようなことで本当の供養になるんだろうかと思うようになったものですから、震災後はこの話をしなかったんです。しかし、この物語にはやはり、自分自身が死に直面する心理が語られているように思います。供養というのは、みんなやってきたんです。今朝のテレビニュースを見ておりますと、三陸沖に向かって手を合わせておられる方が何人もおられました。ではどうやって慰めるか、これは皆が古来から悩んできたことだったんです。悲しみを即座に癒やすなんてことは、できないんです。そこで古来から日本仏教がすすめてきたのは「追善供養」ということなんです。昨日も、私がこちらへ向かっている時に、同じ列車に坊さんが十数人乗っておりました。どこの宗派かわかりませんけれど。それから、泊まっているホテルにも人があふれておりました。こんなことはちょっと珍しいなと思っていたんですが、皆さん震災供養のためにこちらに来ているんですね。追善供養に来ているんです。たとえばどういうことをやっているかというと、坊さんを呼んで、お経を読んでもらう。あるいは写経をするというのがひとつの手段でもあったんです。わけのわからないお経を読んで何の供養になるんだと思われる方もおられるかもわかりません。そんなありきたりのことで、この激しい胸の痛みが消せるかと。消せるんです。「追善回向」という儀式がどこでもいつでもずっと行われてきた。ですから、われわれができることは追善供養をするということになります。亡くなった方々が生前成し遂げることのできなかった無念の思い、それを残されたわれわれがその人に成り代わって行う。私たちが善いことを追加してあげるということなんです。「回向」というのは、こうした善いことを亡くなった方に振り向けてあげるということです。成仏させてあげるんです。私たちはひとりひとり、どんなことでもいいからよいことをする、それが大切なことなんです。これは必ずしも亡くなった方のためだけのものではありません。このように供養を行うことによって、この世にとどまる私たちにもまた、仏の世界が約束されてくる。
最後にこれだけ言っておきたいと思います。私は教職に長いことおりました。その中で、こういうことを言う学生がおりました。「先生、私は死にたい」と。「もうこの世に未練がないから死にたい」と。「おおそうか、いいよ、死んでいいよ。うちには先祖から預かっている短刀があるんだ。これは名刀だからお前の腹をさばくにはもったいないけれども、貸してやるから切れ」って言ったんです。死ぬ気がないから「俺死ぬ死ぬ」って言うんです。見え透いた言葉です。本当に持ってきてやったら驚いちゃったんです。「そうだろう、お前死にたくないだろう。なぜ死にたくないかわかるか」。これはですね、私、こういうふうに言ったんです。「二十五代前までの人数を数えてみろ」と。一週間かかって彼は数えて来たんです。二十五代で3357万4432人になります。私がここにいるというだけで、私はそれだけの過去を背負っているということになるんです。ですから、追善供養をおろそかにはできないんです。「先祖供養なんかしなくてもいいよ」なんていうのは、とんでもないことなんです。私がここに存在しているという証明をしているわけなんです。三十代になったらどれだけの人がいるか。1億7374万1824人。ほとんど無限の広がりがあるわけなんです。その人たちのおかげで私はここにいる。だったらその人たちに供養をしなければならないでしょう。 今日の話にふさわしかったかどうかはわかりませんでしたけど、追善供養をするということは己に向かってするわけです。そのことをよくよく考えていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
大震災が起こるまで、私はよく、釈尊の時代に生きていたキサーゴータミーという女の人の話をしていました。大震災があってからは一度もこの話をしたことがなかったんです。何か自分の中で引っかかりを感じて、話すことができなかったんです。でも今日はまた、この話をしてみようと思います。
「キサー」というのはインド語で「痩せた」という意味なんですが、貧乏な生活をしていたのが、縁があって裕福な家に嫁いで幸せに暮らしていたんだそうです。ところが、はじめて生まれた男の子が亡くなってしまった。病死してしまったんです。それで、死んだ子供を抱いて「何とかならないか」と言ってお釈迦様のところへ来たんです。お釈迦様は黙っておられたのですが、そのうちに口を開いておっしゃった。「一粒のケシの実をもらって来なさい」と。「各御家庭を回って、ケシの実一粒でいいから、もらって来なさい」と言うんです。そうすればその子の命が取り戻せると言うんです。ケシというのは皆さんご存じのようにカラシの一種で、インドにはどこにでもある。小さな実です。ケシの実というのは小さなものの代表でもあります。「芥子劫」という言葉もあります。これはたとえば、そこの福祉大の本棟のような大きな建物をケシの実でいっぱいにして、百年に一粒ずつ取り出していく、で、ケシの実が一粒もなくなるのが一劫という時間単位だということです。で、そういう小さいケシの実をもらってこいというんです。ただ、今までにひとりも死者を出したことのない家からもらって来なさいとお釈迦様は言われました。キサーゴータミーはすぐに外に飛び出しました。当時のインドにはどの家にもケシの実くらいあるわけなんですが、「お宅ではまだ死んだ方はひとりもいませんね」と聞くと、「いやいや、去年父親が亡くなりましてね」とか「ちょっと祖母がなくなりましてね」という。で、結局ケシの実はひとつももらえない。分けてあげようという好意はもちろんあるんです。でも、今までにひとりも死者を出したことのない家からもらってきたケシ粒でなければ、役に立たない。たったひと粒のケシの実を求めて家から家へとずっと回って行くんですが、汗と埃と涙でぐちゃぐちゃになりながら歩いても、ケシ粒がもらえない。彼女は脚を引きずって帰ってくるんですが、彼女の心のなかには今までとは違った不思議な気持ちが芽生えてきたというんです。私の、自分の息子をなくしてしまったという悲しみなんか、誰にわかるんだ。同じつらい別れを経験した人だって、分かっちゃくれない。そう考えると、今までわざとらしく聞こえてきた慰めの言葉も、だんだんと彼女の心に届くようになってきたといいます。不思議な安らぎの気持ちが芽生えてきたというんです。絶望の中ではじめて知った新しい発見が、そこにあったのです。親しい人の死に遭ったことのない家など、どこにもなかったのです。事実を知ったわけですね。
私の映画の脚本の中でもこの話を使ったんですが、後で考えると、はたしてこういうようなことで本当の供養になるんだろうかと思うようになったものですから、震災後はこの話をしなかったんです。しかし、この物語にはやはり、自分自身が死に直面する心理が語られているように思います。供養というのは、みんなやってきたんです。今朝のテレビニュースを見ておりますと、三陸沖に向かって手を合わせておられる方が何人もおられました。ではどうやって慰めるか、これは皆が古来から悩んできたことだったんです。悲しみを即座に癒やすなんてことは、できないんです。そこで古来から日本仏教がすすめてきたのは「追善供養」ということなんです。昨日も、私がこちらへ向かっている時に、同じ列車に坊さんが十数人乗っておりました。どこの宗派かわかりませんけれど。それから、泊まっているホテルにも人があふれておりました。こんなことはちょっと珍しいなと思っていたんですが、皆さん震災供養のためにこちらに来ているんですね。追善供養に来ているんです。たとえばどういうことをやっているかというと、坊さんを呼んで、お経を読んでもらう。あるいは写経をするというのがひとつの手段でもあったんです。わけのわからないお経を読んで何の供養になるんだと思われる方もおられるかもわかりません。そんなありきたりのことで、この激しい胸の痛みが消せるかと。消せるんです。「追善回向」という儀式がどこでもいつでもずっと行われてきた。ですから、われわれができることは追善供養をするということになります。亡くなった方々が生前成し遂げることのできなかった無念の思い、それを残されたわれわれがその人に成り代わって行う。私たちが善いことを追加してあげるということなんです。「回向」というのは、こうした善いことを亡くなった方に振り向けてあげるということです。成仏させてあげるんです。私たちはひとりひとり、どんなことでもいいからよいことをする、それが大切なことなんです。これは必ずしも亡くなった方のためだけのものではありません。このように供養を行うことによって、この世にとどまる私たちにもまた、仏の世界が約束されてくる。
最後にこれだけ言っておきたいと思います。私は教職に長いことおりました。その中で、こういうことを言う学生がおりました。「先生、私は死にたい」と。「もうこの世に未練がないから死にたい」と。「おおそうか、いいよ、死んでいいよ。うちには先祖から預かっている短刀があるんだ。これは名刀だからお前の腹をさばくにはもったいないけれども、貸してやるから切れ」って言ったんです。死ぬ気がないから「俺死ぬ死ぬ」って言うんです。見え透いた言葉です。本当に持ってきてやったら驚いちゃったんです。「そうだろう、お前死にたくないだろう。なぜ死にたくないかわかるか」。これはですね、私、こういうふうに言ったんです。「二十五代前までの人数を数えてみろ」と。一週間かかって彼は数えて来たんです。二十五代で3357万4432人になります。私がここにいるというだけで、私はそれだけの過去を背負っているということになるんです。ですから、追善供養をおろそかにはできないんです。「先祖供養なんかしなくてもいいよ」なんていうのは、とんでもないことなんです。私がここに存在しているという証明をしているわけなんです。三十代になったらどれだけの人がいるか。1億7374万1824人。ほとんど無限の広がりがあるわけなんです。その人たちのおかげで私はここにいる。だったらその人たちに供養をしなければならないでしょう。 今日の話にふさわしかったかどうかはわかりませんでしたけど、追善供養をするということは己に向かってするわけです。そのことをよくよく考えていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
- 仏教専修科
- インタビュー:仏教専修科
- 年間活動:仏教専修科
- 教職員紹介
- 新着情報:仏教専修科
- 科目紹介:仏教専修科
- 学生インタビュー(三田村尚範さん?朋範さん)「兄弟で父の遺志を継ぐ」
- 教員インタビュー(千葉公慈学長)「果てしない物語へ」
- 学生インタビュー(印海兵さん)「中国の仏教?日本の仏教」
- 学生インタビュー(工藤龍人さん)「大学院で街おこしを学ぶ」
- 教員インタビュー(新井一光講師)「仏教認識論から法華経へ」
- 教員インタビュー(木村尚徳講師)「大本山での十年」
- 学生インタビュー(水野有人さん)「鶴見大付属高校から東北福祉大へ」
- 学生インタビュー(田中貴道さん)「本山へ、そして故郷の町へ」
- 「仏教専修科」及び「禅のこころ」共同SDが開催されました
- 日本仏教社会福祉学会学術大会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度お盆供養
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度両祖忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度成道会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度臘八摂心会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度涅槃会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度達磨忌?萩野浩基元学長七回忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度仏教専修科開講式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度降誕会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年度東日本大震災追悼式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度両祖忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度成道会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度臘八摂心会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度涅槃会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度達磨忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度降誕会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】五年度震災追悼式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】六年度施食会法要
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】六年度仏教専修科開講式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】六年度降誕会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度両祖忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度成道会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度臘八摂心会
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度達磨忌
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度仏教専修科開講式
- 活動記録:奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】四年度降誕会
- 活動記録:東日本大震災十三回忌
- 活動記録:太祖瑩山紹瑾禅師七百回大遠忌法要
- 科目紹介 中国禅宗史
- 科目紹介 日本禅宗史
- 科目紹介 禅学概論
- 科目紹介 経論講読
- 法話?講話
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年涅槃会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】3年開講式挨拶(高橋英寛理事長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】3年開講式訓示(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年降誕会式辞(高橋英寛理事長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】三年降誕会挨拶(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年両祖忌法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年成道会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年涅槃会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】二年達磨忌法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】元年成道会法話(千葉公慈学長)
- 奔驰宝马游戏大厅_电子游戏APP下载-【唯一官网首页】元年降誕会法話(大谷哲夫学長)
- 大谷哲夫学長インタビュー:仏教専修科の理念と展望
- 平成28年両祖忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成28年成道会法話(仏教専修科主任 斉藤仙邦教授)
- 平成28年降誕会法話
- 平成29年両祖忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成29年東日本大震災七回忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成29年降誕会法話(大谷哲夫学長)
- 平成30年両祖忌法話(大谷哲夫学長)
- 平成31年涅槃会法話(大谷哲夫学長)
- 降誕会オンライン法話(千葉公慈学長)